2010年05月18日

塚本先生世評「天変地異は人心と政治の乱れ」

塚本三郎先生5月下旬世評をアップしました。

天変地異は人心と政治の乱れ   平成二十二年五月下旬   塚本三郎

 異常気象が続いている。五月中旬というのに、私は長袖の下着でいる。
 一日で、冬と初夏を繰り返す。恐らくこの現象は、日本だけではないと報道されている。
 気象庁による宇宙から見た雲の動きは、中国から朝鮮半島を経て、日本の上空に真っ白の雲が次々と通過して東に流れ、雨を降らしてゆく。
 中国のウイグル地方の大地震は、死傷者が万を超えた。街の建物の大半は倒壊して、救援部隊の手も届かない、道路の寸断状況を報じている。
 インドネシアのスマトラ沖の地震をはじめ、カリブ海の蜒nイチ、そして南米のチリ等々、地球の各地で大地が鳴動している。
 イギリスの北西の蜒Aイスランドの噴火口が吐き出す噴煙は、全欧州を覆って、航空機は一週間余に亘って、空に網をかけたように、飛行を中止せしめた。
 大自然の怒りのすさまじさは、近代科学の粋をもってしても、予見出来ないのみならず、抑制力さえ、人間が嘲笑される有様ではないか。
 西から流れる風は、蒙古の黄砂を含んで日本列島に襲来し、時には視界十米という。
 中国北部は視界のみならず、街中、マスクの人の波と化している時もあると報じられる。
 そして、気候の変化は、悪性インフルエンザとなって、全世界に流行した。

異常現象は人心の乱れと政治の反映
 地震、津波、干跋、非時風雨、悪疫流行、政変、と世界中で六つの難が重なった。大自然は、天の怒りとして、この異常気象を示している。
 過去にこれ程の天変地異の現象が起こった例が在っただろうか。
 情報通信の発達によって、世界の実状を知りえた結果なのか。そうとは思われない。これは近々に起った、特別の異常な自然現象ではないのか。
 最近の各国は、自由と平和と繁栄を求めているが、それらは人間の理性の限界を超え、欲求と感情の暴走を、国家として抑制し得ない、「人間本能の暴走」は露骨である。
 自然が自動的に対応し、人間と大自然との調和の乱れによって現れた、結果としての異常な自然現象と見ることも出来る。人間の異常な行動が、大自然の異常を招いたのか。
 こんな観察は、今日の科学的思考では、因果関係は実証されない。
 それでも日本では昔から、自然現象は人間の考え方や行動とは無関係ではない、という通俗的な慣習と判断基準が、一般庶民の家庭には浸透していた。「○○様のたたり」だと。
 仏教では、人間は自然の中に活かされている活きものであるから、大自然の働きは、人間生活、とりわけ一国の政治とは無関係ではない、否、人間の活動や国家の政治が、そのまま天候にさえ現れていると説いている。
 例えば、庶民が計画する行事一つをとりあげても、それが晴天か、降雨かによって、成功か、失敗かの大半が決まる場合には、その集団や指導者の心構えや行動と結び付けて判断されて来た。それも、仏教が、日本人の生活に深く信仰心として根付いて来た歴史のゆえであろう。国政こそ国民に与える影響力が大であるがゆえに、もっとも重厚な自然との結び付きとなっている、と断定したのが日蓮の「立正安国論」である。

立正安国論
 人心は荒廃し、天変地異激しく、政状は混乱の極に達している世相に対して、提言した。
 世皆、正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還らず。是を以って魔来り、鬼来って災起り難来る。言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず、と当時の世相を嘆き、日蓮は次の如く経典を引用する。
 金光明経によれば、一切の人衆、皆善の心なく、殺害や怒りや争いのみに終止すれば、まず疫病が流行し、季節外れの風雨はげしく、国民は作物の飢饉にあい、怨賊が侵掠する。
 大集経によれば、仏法による教えが世の中から消えれば、まず人間の髪と爪を長くすることが流行し、国の法律が失われ命令が届かず、世の中の正論、善論が通らなくなる。
 それは悪い王と、悪い指導者が正論を壊すことによって生ずる。その結果悪風雨多く暴水増長して、溺れる人多く、また身内周辺で謀反が興る。
 仁王経によれば、もし王の福尽きん時には一切の聖人、指導者はこの国を捨てる。その時、賊来って国をおびやかし、百姓亡喪し、王をはじめ、上下の区別が乱れる。その上、一切の聖人が去る時は、七難必ず起る。良くない指導者は、自分の名声と利益のみを、王に対して、勝手に法律を作らせ、仏法と国法に反する因縁を作らせる。
 涅槃経によれば、指導者は、常に心に恐怖の心を持つことなく、善をすすめ、悪に対しては畏れの心を持たず、殺されてもかまわないとの心で対処せよと説かれている。
 法華経によれば、此の世の中には、未熟な者が、聖者の如く振る舞って、慢心の人が多くなる。そして逆に、聖者に対して誤った道を論ずる人が多く出てくる。それだけではなく、王や指導者に非難の論さえ浴せる。それが末法の実情である。
 立正安国論は、仏教経典の、各経の論を一々引用して、人心の変化によって、政治行動がそのまま自然現象に現出される点を解読し強調している。
 所詮、天下泰平に国土安穏ならんことは、君臣の願う所也、土民の思ふ所也
 それ国は法に依って而して昌え、法は人に因って而して貴し。
 国亡び、人滅せば仏を誰か崇む可き。法をば誰か信ず可けん哉。先ず国家を祈って須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるに術あらば聞かんと欲す。と結んでいる。

心の貧しさに溺れる
 それにしても、現在の日本社会はあまりにも異常である。
 殺人事件の報道が伝えられない日はない。親がかわいい子を痛め、子が大切な親を殺す。夫婦の間での殺人に及ぶ事件。親しかった友人との殺人。交通事故多発による死傷者。独居老人の、失火の中での焼死等々。昭和一桁の年代に育った我々にとっては、経験したことの無い悲劇が、連日報道されている。
 冷静に省みると、日本社会はそんなに凶暴で、住むに値しない不幸な社会であり、国家であろうか。
 戦時中に生まれ、敗戦後の占領下に育ち、貧困の苦しい経済社会を懸命に働き、生き抜いてきた私達の今日の経験からすれば、現在ほど、平和で、自由で、豊かな社会はなかった。今日が一番住み良い時代であると信じている。
 いかに貧しい人でも、住むに家なく、食うに食なく、欲を言わなければ、働くに仕事の無い日本人は居ないと言いたい。
 われわれの経験したなかでは、今日こそ最も満ち足りている国状であると思う。
 街を歩く女性の持ち物も、世界のブランド品を抱える女性は珍しくない。
 それなのに、すさびた社会現象の原因は、日本人の「心の貧しさ」ではないか。
 欲の心には天井がない。不平の心には底がない。
 苦言を云えば限りが無い。中小企業の経営者は、仕事の不足以上に、働く若者のやる気のなさに悩んでいる。折角雇っても、「キツイ、キタナイ、クルシイ」で一ヶ月と、まともに働かず辞めてゆく若者が多いと愚痴る。それは単に雇う人の責任だけではあるまい。
 貧困の時には、豊かな人を尊敬し、自分の努力目標として頑張った。
 逆に周囲が豊かになると、己に不満を抱き、豊かな人へ妬みを抱く。
 今日のメディアは、妬みの報道が多くなりすぎてはいないか。日本の新聞もテレビも、悲報の洪水である。日本は、今や心の貧しさに溺れていると云いたい。
 平穏にして豊かな福祉社会に向かっている日本であるのに、なにゆえ混迷が続くのか。既に幾度も論じた如く、一番の欠落は、政治家と各政党が、国民に希望と勇気を与える「国家目標」を大きく掲げることが無いからである。
 昭和の時代には、未だ貧しくとも、全アジアの中では、輝ける日本、そしてアジアの盟主、希望の星、としての自覚と誇りを国民は持っていた。

希望と勇気と自信を与えよ
 政治家と政党の最大の使命は、日本人に正しい歴史認識を教え、先祖、先輩、両親に対して、感謝と尊敬の心を抱かせ、勇気と自信を与えることである。
 今日まで、日本人に対して、歪められた歴史認識を行った元凶は、東京裁判である。
 それを持ち出すことで日本に対する「侵略の歴史観」を押し付け、その結果、祖国愛、郷土愛を消させ、歪んだ少数の指導者が、声を大にしてマスメディアを悪用している。
 まともな指導者は、おとなしいから声が小さい。ゆえに政治に無関心な大衆は、一部の大声に洗脳されてゆく。日本国の敵は一部の日本人だ。敵は、周辺国に居るだけではない。日本人が、自分の国を愛さなくさせていることだ。それでは、我々の国を誰が守るのか。
 自主独立のため、防衛力の充実強化を主張する人を、軍国主義者だ、右翼だと、心ない国民が叫ぶのは、「侵略の歴史観」に毒された人の言葉にすぎない。
 立正安国論を引用したのは、今日、世界を取り巻く大自然の現象が、日本国政の政治行動と、約七百五十年前の「蒙古来襲」時代の「自然現象」が余りにも似ているから。
 それが第二の元寇と予見される。日本のみならず、世界中に起っている異常気象を、神、仏の予言、警告として、冷静に受け止める必要がある。
 政治家の言動が、国民に迎合し、そのことが、国民の不安を増大せしめている。
 それよりもまず、日本国家はどう在るべきか、各政党が独自の国家観を示し、国民に、希望と勇気と自信を与えるべきである。それをすることによって、党内の分裂を招くと恐れるならば、そんな政党は自ら解党すべきだ。安全保障や教育方針で、議論を深めることによって、党内の対立が拡がるのを恐れるのは、まともな政党ではない。
 国会議員に当選し、議員の数を増すのは、国政の為の単なる手段であって、目的と勘違いしているとすれば、まともな政党ではない。本末転倒の政治は、国家の敵となる心配が多い。このままでは、今日の各政党は、日本国家の足手まといとなりはしないか。
 スポーツや芸能界で有名となった人の、名声のみを利用し、各政党が、国会議員候補者として起用することに熱心である。その人が日本国家の船頭となるべき有為な人物なのか、否か、人物と資質が中心でなければならない。政治家も庶民も、大切な国政を軽視している。それを天は警告している。
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