
>>>>> http://www.ritouki.jp/ ━━━━━━━━━━━ 【平成23年(2011年) 4月10日】
☆★☆★ 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 ☆★☆★
日台共栄のためにあなたの力を!!
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1>> 日刊サイゾーが「台湾の中国返還」記述を削除訂正
2>> 産経新聞「歴史に消えた唱歌」に蔡焜燦氏や斎藤毅・台湾協会理事長が登場
3>> 第15回台湾李登輝学校研修団:2名を追加募集【締切:4月11日】
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■ 東日本大震災「お見舞い募金」にご協力を!(日本)
*募金総額:194万4400円(4月8日現在)
*お見舞い募金は「お志」ですので、いくらでも結構です。
*礼状はお出しできませんことをご了承のほどお願いします。
☆ 郵便局
加入者名:日本李登輝友の会 口座番号:00110-4-609117
・通信欄に「地震」「お見舞い」などとお書き添えください。
・一般の方は郵便局備え付けの「郵便払込取扱票」を、本会会員の方は機関誌『日台
共栄』に添付の郵便払込取扱票をお使いください。
☆ 銀 行
三菱東京UFJ銀行 本郷支店 普通:0012742
日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬
(ニホンリトウキトモノカイジムキョクチョウ ユハラマサタカ)
■ 東日本大震災「お見舞い募金のお預かり」要綱(台湾)
☆ 東日本大震災「義捐金お預かり」振込口座
彰化銀行 古亭分行 帳號5116-51-106275-00 戸口HAYAKAWA TOMOHISA(早川友久)
■ 李登輝元総統から被災者へのメッセージ[桜H23/3/29]
http://www.youtube.com/watch?v=iGzkPlnMgUA&feature=youtube_gdata
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1>> 日刊サイゾーが「台湾の中国返還」記述を削除訂正
まだまだ横行する「日本は台湾を中国に返還した」という誤った認識
一昨日の本誌(第1284号)において、「日刊サイゾー」というインターネット紙の取材
を受けた日台交流センターの職員が「戦後、日本の敗戦にともない台湾が中華民国(中国
国民党政府)に返還されました」と答えたことを紹介、歴史事実ではない由々しき発言と
して、日台交流センターを設けている(財)交流協会に連絡したところ、日台交流センター
長は言下に「こういう事実はあり得ない」と断言、翌日、改めて交流協会に連絡したとこ
ろ「取材を受けた日台交流センターの者は、台湾が中華民国に返還されたなどとは言って
おらず、『日刊サイゾー』に訂正を要求した」ことをお伝えした。
その後、「日刊サイゾー」が訂正したかどうかを確認したところ、なんと返還云々は完
全に削除され、訂正されていることが判明した。
下記に訂正前と訂正後の記事を紹介するが、交流協会の迅速な対応と、それに応じた「日
刊サイゾー」紙の勇気を讃えたい。やはり、訂正するのは報道機関として確認調査も必要
だし、勇気のいることなのだ。
その点で、本誌のその号でも書いたように、中学校の地図帳や高校教科書など、まだま
だ「日本は台湾を中国に返還した」という誤った記述が横行している。
また、先にも本誌でお伝えしたように、昨年8月に中日新聞(東京新聞)にも、日本は19
45年に台湾を中国に返還したとする同様の記事が掲載され、以来、中日新聞(東京新聞)
に質問という形で訂正を求めていたが、中日新聞(東京新聞)側は頑として非を認めない。
それどころか、「『日本はポツダム宣言受諾に伴い、台湾の領有権を中国(当時)に渡
した』という立場に立って報道」してきているとし、訂正には応じられないとの最終回答だった。
すでに中日新聞(東京新聞)にも通告しているが、近々、その経緯や担当者の名前も連
絡先も公開する予定だ。皆さんのお力添えをいただき、ぜひその誤った認識を正したい。
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▼ 4月6日掲載時の記事
「世代や政治的なスタンスによって違うとは思いますが、一般的によく言われるのは、戦
後、日本の敗戦にともない台湾が中華民国(中国国民党政府)に返還されましたが、蒋介
石時代には市民がひどく弾圧されたという歴史的背景があります。(略)」
▼ 訂正記事
「世代や政治的なスタンスによって違うとは思いますが、一般的によく言われるのは、日
本の敗戦に伴い、1949年以降、蒋介石氏が率いる国民党政権が台湾にやってきましたが、
その時代、市民がひどく弾圧されたという歴史的背景があります。(略)」
■ 日台交流センターに聞いた「義援金100億突破―」台湾はなぜ親日家が多い?
【日刊サイゾー:2011年4月6日】
http://www.cyzo.com/2011/04/post_6993.html
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2>> 産経新聞「歴史に消えた唱歌」に蔡焜燦氏や斎藤毅・台湾協会理事長が登場
唱歌教育を通じて日本統治の実態が明らかに
産経新聞が4月3日からオピニオン面で「歴史に消えた唱歌」を連載しはじめた。執筆は
文化部編集委員の喜多由浩(きた・よしひろ)記者だ。
日本統治時代の台湾や朝鮮では独自の唱歌が多数作られ、当地の子供たちに愛され歌わ
れていたが、戦後はそれらの唱歌が忘れ去られていった。
そこで、喜田記者は「かつて日本が統治した地域で子供たちに愛唱された唱歌。戦争を
はさんで忘れ去られていった『幻の唱歌』を追う」として、連載が開始された。
初回は「台湾、朝鮮にもあった『幻の唱歌』」で、どのようにして台湾や朝鮮で独自の
唱歌が作られていったかを追い、山田耕筰をはじめ中山晋平、信時潔、野口雨情、島木赤
彦、北原白秋などそうそうたる「巨匠」が作曲に作詞にいそしんでいたかを紹介している。
本日の第2回は「『唱歌の父』が台湾で描いた夢」で、「唱歌の父」と呼ばれる台湾総督
府学務部長をつとめた伊沢修二の台湾での取り組みを主に紹介している。
私どもとも親しくしていただいている蔡焜燦氏(李登輝民主協会理事長、台湾歌壇代表)
は、初回にも今回にも登場する。また今回は、台湾協会理事長で新竹生まれの湾生である
斎藤毅(さいとう・つよし)氏も登場している。
この「歴史に消えた唱歌」は、日本統治下の台湾や朝鮮を舞台にしていることから、そ
の統治の実態にも触れざるを得ない。NHK「JAPANデビュー」問題を持ち出すまで
もなく、日本は台湾や朝鮮を「侵略」して住民を「弾圧」したとするような歪んだ歴史観
が未だにくすぶっている現在、この記事はバランスのとれた公平な史観で書かれていると
思う。何より、現地の教師たちがいかに熱心に教育に取り組んでいたかを明らかにしてい
る点で、ぜひ読んでいただきたい内容だ。下記に、本日の第2回分を紹介したい。
なお、記事中に芝山巌事件で犠牲となった六士先生の一人として「中島長吉」(なかじ
ま・ちょうきち)の名が出てくる。かつて本誌で手島仁氏の『群馬学とは』を紹介したと
き触れたように、中島は群馬県出身だ(本誌2010年8月19日発行、第1234号)。『群馬学と
は』では中島の事績も詳しく取り上げているのでご参照いただきたい。
ちなみに、本会の小田村四郎会長の曽祖父が吉田松陰の義弟で群馬県令(知事)を務め
た楫取素彦(かとり・もとひこ)で、亡くなった六士先生の一人がその次男の道明だ。道
明は小田村会長の祖父に当たる。『群馬学とは』では、息子を喪った楫取県令が、同じく
息子を喪った中島家を訪れ、漢詩を贈って両親を慰めたというエピソードも紹介している。
■ 台湾、朝鮮にもあった「幻の唱歌」(産経新聞:2011年4月3日)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110403/art11040307280001-n1.htm
■「唱歌の父」が台湾で描いた夢(産経新聞:2011年4月3日)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110410/art11041007380001-n1.htm
■ 良書紹介−手島仁著『群馬学とは』(2010年8月19日発行、第1234号)
http://melma.com/backnumber_100557_4942404/
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歴史に消えた唱歌(2)「唱歌の父」が台湾で描いた夢
文化部編集委員 喜多 由浩
【産経新聞:2011年4月10日】
《扶桑の空に高光る わが日のみこのまつりごと》…“老台北(ラオ・タイペイ)”こ
と、蔡焜燦(83)は、いきなり歌い始めた。「覚えている唱歌はありませんか?」と問う
たときのことである。
この歌は、日本時代の台湾で作られた独自の唱歌『始政記念日』だ。1895(明治28)年6
月17日、日清戦争に勝利し、台湾の領有権を得た日本が、統治を始めた日のことを歌って
いる。以来、その日は祝日となり、蔡のような台湾の子供たちが通った公学校や、主に日
本人子弟が通う小学校でも必ず、歌われた。いわゆる儀式唱歌のひとつである。
「(始政記念日の)年号や日にちまで言えますよ。日本人も台湾人もみんな、この日は
学校へ行ってこの歌を歌ったものです」と、蔡は約100年前に作られた歌の一番の歌詞を最
後まで歌い切ってみせた。
長く、大陸から“化外の地”とされてきた台湾に近代教育をもたらしたのは日本であっ
た。そのリーダー役を務めたのが、台湾総督府の初代学務部長に就任した伊沢修二である。
信州・高遠出身の伊沢は、明治新政府の官吏となり、アメリカへ留学、音楽教育の重要
性を認識した。日本に戻り、東京師範学校校長や文部省音楽取調掛長に就いた伊沢は、ア
メリカから留学時代の師であるメーソンらを招いて、西洋音楽を柱とした音楽(唱歌)教
育を日本に導入すべく奔走する。自らも作曲をして、「小学唱歌」集も編纂(へんさん)
した。
ところが、政府幹部との対立などによって伊沢は道半ばで下野してしまう。そして伊沢
は、「その夢」を新天地・台湾に託そうとしたのである。
◆台湾が早かった必須化
「(伊沢は)日本の音楽教育の基礎をつくった人ですが、すんなり受け入れられたわけ
ではなく、唱歌が必須科目になったのは、台湾の方が内地(日本)より早い。日本ででき
なかったことを台湾で、と考えていたのではないでしょうか」。日本時代の台湾の唱歌に
詳しい奈良教育大准教授の劉麟玉(44)=音楽教育=はこう話す。
日本が最初に統治した台湾で伊沢が採った教育方針は「混和主義」というべきやり方で
あった。これは、「我(日本)と彼(台湾)と混合融和して、知らず知らずの間に同一国
に化していく」政策である。伊沢によれば、それが可能になる条件は、統治国と被統治国
とが民族的に近いこと、言語に共通性があること、知徳に大きな差がないことであった。
「伊沢の台湾人に関する観察には偏見や先入観もなく、率直で公平である。(略)台湾
人は日本人に比較して、素質や能力、知徳の量についても劣っているとは思えない。ただ
日本が維新以来近代化を進めてきたのに反して、台湾は日本の維新前のような状態にある
に過ぎない。台湾人の気性も日本人に似通っている。日本で行っているような教育が実施
できない訳はない…」(篠原正巳著『芝山巌事件の真相』)
混和主義の下で、伊沢がまず取り組んだのが国語(日本語)教育である。同時に、日本
人への台湾語学習にも力を入れた。それこそが「融合」のために必要だったからであろう。
1895年6月18日。つまり「始政記念日」の翌日から伊沢率いる学務部は早速、始動してい
る。そして、台北郊外の芝山巌(しざんがん)に、台湾人子弟を対象とした日本語学習の
ための学堂を開設、そこはやがて、国語伝習所、公学校へと発展していく。
だが、当時の台湾は植民地支配に対するまだ「抗日」の機運が強く、とりわけ、芝山巌
周辺は「土匪(どひ)」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する危険な土地であった。
果たして翌1896年元旦、伊沢が一時帰国している間に、日本人学務部員6人が土匪らに
よって惨殺されるというショッキングな事件が発生した。いわゆる「芝山巌事件」である。
事件は後に台湾独自の唱歌『六士(氏)先生』に歌われた。
そのとき遭難したひとりに中島長吉がいた。東京府立師範学校を出て台湾総督府の学務
部員となった中島は音楽に造詣が深く、事件のわずか10日前、伊沢に宛てた手紙で、台湾
における音楽教育導入の重要性を訴えている。中島は音楽教育の効用を指摘し、日本に一
時帰国した伊沢に対し、楽器を持ち帰ることまで依頼していた。
その手紙が伊沢の心を動かす。奈良教育大の劉は、「伊沢は学務部長として、台湾の教
育全体を決める立場にいたから当初は『唱歌教育よりも優先すべきことがある』と考えて
いました。(衝撃的な事件の犠牲になった)中島の進言が、唱歌教育を進める伊沢の背中
を押すことになったのでしょう」
◆日本語習得のツール
芝山巌事件が起きた1896(明治29)年9月に公布された台湾総督府国語学校規則によって、
唱歌は国語学校の付属学校(小学校)の習得科目とされた。2年後の98年には、公学校が各
地に設置され、唱歌はここでも「必須科目」となった。すでに述べたように、これは日本
の小学校(1907=明治40年)よりも早い。
伊沢は1897年5月、一時帰国中に行った講演で誇らしげに報告している。「唱歌というも
のは、非常に台湾の学生は好みます。しかも上手だ。概して言ってみれば、内地の学生よ
りも台湾の学生の方がはるかに唱歌は上手である」
ただし当時、教えられたのは内地で使われていた儀式のためや、生活指導のための唱歌
が中心であり、まだ自然や動植物、名勝などを盛り込んだ台湾独自の唱歌は作られていない。
後年、日本においても伊沢の唱歌教育は、西洋音楽への偏重や「徳育」を重視するあま
り、芸術性が軽んじられたなどとして批判を浴びたが、実際、台湾時代でも子供たちを「楽
しませるために」独自の唱歌をつくるという発想はなかった。
むしろ、伊沢は唱歌を、同化や日本語を効果的に習得するツール(道具)として利用し、
国語教材とのコラボレーションが盛んに行われた。これは植民地教育である以上、仕方が
ないことであろう。
一方、『始政記念日』や『六士(氏)先生』は、ともに1915年発行の「公学校唱歌集」
に収録され、その後も台湾でずっと歌い継がれた。
台湾協会理事長の斎藤毅(73)は終戦前年の1944(昭和19)年に台北師範学校付属国民
学校(小学校)に入学し、2年生まで通った。「すでに戦争が激しくなっていたころで、台
湾独自の唱歌の多くは歌われなくなっていたようです。ただし、始政記念日や六士(氏)先
生のことはよく知っていますよ」
それは、2つの曲が日本時代の教育のシンボルだったからに違いない。当時から『始政記
念日』を屈辱的な思いで歌った台湾人児童がいなかった、とは言わないが、多くの子供たち
は伊沢らがもたらした近代教育によって育てられたのである。
伊沢は、1897年、今度は台湾総督府の上司とトラブルを起こし、渡台からわずか2年で台
湾を去ってしまう。
だが、台湾の教育、とりわけ唱歌を作る伊沢の情熱は冷めることがなかった。台湾を去
った後も、東京師範学校や東京音楽学校時代の教え子らを次々と台湾へ送り込み、影響力
を保持し続けた。
やがて、伊沢が蒔(ま)いた「混和主義」のタネが花を咲かせ、彼らによって、台湾の
独自の唱歌が生み出されてゆくのである。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
【プロフィル】伊沢修二
いざわ・しゅうじ 幕末の1851(嘉永4)年、信州・高遠藩士の家に生まれる。藩から派遣
されて大学南校(現東京大)に学び、明治新政府の官吏となる。米留学を経て、東京師範
学校校長、音楽取調掛長を歴任。1895(明治28)年渡台し、台湾総督府学務部長に就任、
近代教育導入に取り組む。貴族院議員も務めた。1917(大正6)年、67歳で死去。
◇
かつて歌った日本時代の台湾や朝鮮の唱歌の思い出を聞かせてください。郵便〒100−80
78 産経新聞社東京本社唱歌係、FAX03・3242・7745、メールspecial@sankei.co.jpで。
電話はご遠慮ください。
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3>> 第15回台湾李登輝学校研修団:2名を追加募集【締切:4月11日】
第15回台湾李登輝学校研修団は、3月下旬に一旦定員の40名に到達しましたが、その後、
数名のキャンセルやお申し込みもあったのですが、現時点での参加者は38名で、2名の余裕
があります。
そこで、元々は4月8日が締切日でしたが、4月11日(月)を締切として2名だけ追加募集
いたします。「もう満席だろう」と諦めている方がおられましたら、この機会にお申し込
みください。
今回の主な内容は、李登輝学校校長の李登輝元総統による特別講義(最終日)をはじめ、
黄昭堂先生(元総統府国策顧問)や許世楷先生(前駐日台湾大使)、『日本に恋した台湾
人』や『台湾は今日も日本晴れ!』などで日本でもおなじみの謝雅梅先生など、台湾を代
表する有識者の方々が日本語で講義します。また、スペシャルゲストとして、司馬良太郎
氏が『台湾紀行』で「老台北」と紹介した蔡焜燦先生もお招きしています。
野外見学は台湾海峡の要衝「澎湖島」を訪問します。研修修了後、李登輝校長自ら一人
ひとりに「修了証」を授与されます。
● 第15回李登輝学校研修団:申し込みフォーム【締切:4月11日】
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0086.reg
*同時にパスポートのコピーをFAXかメールでご送付願います。
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■日 程:5月7日(土) 朝便で成田空港→桃園空港 or 羽田空港→松山空港へ
5月8日(日)〜5月10日(火) 終日研修(野外視察含む)
5月11日(水) 修業式。夕方便で帰国
■参 加 費:会員 成田発ツイン 132,000円 成田発シングル 150,000円
会員 羽田発ツイン 144,000円 羽田発シングル 162,000円
会員 現地参加ツイン 86,000円 現地参加シングル 106,000円
*上記価格は予定価格で、空港利用税や燃料特別税が含まれています。
*宿泊は参加者数やホテルの都合によりご希望に添えない場合があります
のでご了承ください。
■定 員:40名
■申込締切:4月11日(月)
■一般参加:研修には会員以外の方も参加できますが、参加費は上記会員価格プラス1万円
となります(但し、申込時にご入会の方は会員価格とさせていただきます)。
■そ の 他:成田・羽田以外からのご参加についてもできる限り対処したいと考えていま
すので、ご相談ください。その際、参加費は成田発より割高になることを
ご了承願います。
■航空会社:チャイナエアライン(成田9:40発)またはエバー航空(羽田10:45発)の予定。
■手配会社:共栄ツアーズ(東京都知事登録旅行業第3-6208号)
■申込方法:下記の申込書に必要事項を記し、FAX、メールにてお願いします。本会H
Pからも申し込めます。お申し込みいただきましたら、所定の書類を送付
いたします。
・申込みフォーム http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0086.reg
・FAX:03-3868-2101 E-mail:info@ritouki.jp
*パスポートは3ヵ月以上の残余期間[有効期限が2011年(平成23年)8月12
日以降]が必要ですので、必ずご確認願います。
*4月11日以降キャンセルの場合、キャンセルチャージ(参加費の20%)が発
生します。
■お申し込み・お問い合わせ
日本李登輝友の会事務局:片木、柚原、佐藤
〒113-0033 東京都文京区本郷2-36-9 西ビル2A
電話:03-3868-2111 Fax:03-3868-2101
E-mail:info@ritouki.jp
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第15回台湾李登輝学校研修団 申込書
・ご氏名:
・性別: 男 女
・年齢: 歳
・会籍: 会員 一般 入会希望
・参加タイプ: 成田⇔桃園 羽田⇔松山 現地 その他( )
・宿泊希望: ツイン シングル
・パスポートNo.
・パスポート有効期限
・ローマ字氏名:
・ご住所:〒
・ご連絡先(TEL):
・FAX:
・E-mail:
*お申し込みと同時にパスポートのコピーをFAXorメールでお送り願います。
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● 日本李登輝友の会「入会のご案内」
文化交流を主とした「日本の生命線」台湾との交流を深める本会活動にご参加いただ
ける方は、ご入会を! 下記の「入会お申し込みフォーム」からですと、お手軽にお
申し込みできます。 (日本李登輝友の会事務局)
■ 入会お申し込みフォーム http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0005.reg
■ 入会案内 http://www.ritouki.jp/guidance.html
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日本の「生命線」台湾との交流活動や他では知りえない台湾情報を、日本李登輝友の会の
活動情報とともに配信する、日本李登輝友の会の公式メルマガです。
● 発行:日本李登輝友の会(小田村四郎会長)
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