2011年04月28日

鳥居顛末─鎌田正威の墓所前に建つ鳥居写真を発見

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>>>>> http://www.ritouki.jp/ ━━━━━━━━━━━━【平成23年(2011年) 4月28日】

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1>>【台北事務所ブログ】 鳥居顛末─鎌田正威の墓所前に建つ鳥居写真を発見 早川 友久
2>> 台北市李登輝之友会からの義捐金贈呈式の模様を「チャンネル桜」が放映
3>> 烏山頭ダムを建設した八田與一氏のまんが人物伝が小学館から出版
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  *募金総額:517万3400円(4月27日現在)
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  日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬
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■ 李登輝元総統から被災者へのメッセージ[桜H23/3/29]
  http://www.youtube.com/watch?v=iGzkPlnMgUA&feature=youtube_gdata
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1>>【台北事務所ブログ】 鳥居顛末─鎌田正威墓所前に建立の鳥居写真を発見 早川 友久

 4月13日発行の本誌に、本会理事で台北事務所長の早川友久(はやかわ・ともひさ)氏が
つづる「台北事務所ブログ」に掲載された「帰ってきた二つの鳥居」を掲載した。

 昨秋、南京東路と林森北路の交差点にある大きな公園、通称「林森公園」に2つの鳥居が
帰って来たとして、この2つの鳥居は、この公園が「三板橋墓地」と呼ばれる日本人墓地だ
ったころ、墓地に眠っていた明石元二郎・第7代台湾総督と、その秘書官であった鎌田正威
氏の墓前に建てられていたものだったことを記した記事だ。

 大小2つの鳥居は、戦後、三板橋墓地に住み着いた国民党の下級兵士たちの塒(ねぐら)
となり、公園化されるときに「二二八和平公園」のすぐそば、国立台湾博物館の正面入り
口左側の襄陽路沿いに移築され、並べて建てられていた。

 大きい鳥居が明石総督の墓所に建てられていたものであることははっきりしていた。し
かし、小さな鳥居は、そのときのプレート板には「乃木希典・第3代総督の御母堂である寿
子さんの墓前にあったもの」と書かれていた。

 ところが、今回の鳥居移転に伴う調査で、小さい鳥居は鎌田秘書官の墓所にあったもの
で間違いないだろうと「総合的判断」が下された。だが、写真のような決定的な証拠が示
されなかった。

 そこで、早川所長がこれを明らかにしようと丹念に調査した結果、ついに鎌田正威の墓
所前に建立する鳥居の写真を発見、小さい鳥居の「持ち主」を確定させたのだった。

 本誌でその写真を掲載できないのは残念だが、「台北事務所ブログ」では、鎌田正威の
顔写真や「台湾日日新聞」に掲載された写真、台湾総督府専売局の機関誌『専売通信』に
掲載された写真を掲載している。ぜひご覧いただきたい。

 よくぞ発見しました。快挙です。早川所長に大拍手をお願いします。下記にブログ記事
をご紹介したい。

■ 鳥居顛末(台北事務所ブログ:4月24日)
  http://twoffice.exblog.jp/
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鳥居顛末 早川 友久

 長いこと国立台湾博物館の敷地内に「居候」していた大小2つの鳥居が、林森公園(日本
時代は「三板橋墓地」と呼ばれる共同墓地)に帰って来たことや、長らく「乃木希典・第3
代総督の御母堂の墓前にあったもの」とされてきた小さい鳥居が、調査の結果、明石元二
郎・第7代総督に仕えた鎌田正威・秘書官の墓前にあったものであろう、と結論付けられた
ことは、先日のブログでもお伝えしました。

 その後、台北在住のフリーライターで、いつも色々と教えていただいている片倉佳史さ
んからアドバイスをいただきました。

 というのも、昨秋、この鳥居が移動される際、台北市政府文化局が調査を行ったのです
が、その調査過程や小さい鳥居が鎌田秘書官のものだと結論付けた物証が公開されていな
いからなのです。

 確かに、子供の頃、この墓地を遊び場がわりにしていた地元の老人たちによる、乃木総
督の御母堂の墓前には鳥居はなかったという証言、墓前の写真の確認、鎌田秘書官の没年
(昭和10年8月8日)と鳥居に刻まれている「昭和10年」という刻銘が一致する、などが根
拠として挙げられています。しかし、どれも決定的な物証とまでは言えず、「総合的に判
断」した結果という、決め手を欠くものでした。

 そこで、片倉さんからも、鎌田秘書官の墓前の写真があれば、この小さい鳥居が鎌田氏
のものと確定する証拠になる、ということで、「宝探し」に着手しました。

 ところで、そもそも鎌田正威氏とは一体どんな人物なのでしょうか。実際、私も今回初
めて聞く名前でした。歴史に埋もれた鎌田氏の足跡を追ってみたいと思います。

【上は鎌田氏の肖像写真。大正14年(1925年)に発行された「樟木調査記念寫真帳」より。
発行は台湾総督府専売局樟木調査記念会。所蔵は国立台湾大学図書館】

 鎌田正威氏は明治18年(1885年)、香川県綾歌郡坂出町の生まれ。明治43年(1910年)7
月、東京帝国大学政治経済科を卒業。同年10月に台湾へと渡り、台湾総督府工事部事務官
となりました。

 大正7年(1918年)には、明石総督の秘書官兼参事官に任ぜられ、明石総督の片腕として
活躍したようです。ベトナムやアフガニスタン、トルコにまで派遣され、その視察状況を
総督へ報告した資料も残されています。

 大正11年(1922年)には台湾総督府専売局庶務課長に就任、大正15年(1926年)に総督
府を退職しています。

 退職後は赤十字社主事や、日本精神を体現する神道を広める運動として「台湾維新社」
を結成するなど、公的な場で活躍していたようです。

 昭和10年(1935年)8月8日、悪性心臓麻痺で死去。享年51歳でしたが、翌日の台湾日日
新報には写真入りでその訃報が報じられています。

 当時の新聞記事や機関誌などを丹念に検索していくと、鎌田氏の名前が頻繁に登場する
ことが分かります。現在で言えば、官僚出身のオピニオンリーダーといった位置付けだっ
たのでしょうか。

 そして死去の翌昭和11年(1936年)4月16日付の台湾日日新報では、「故鎌田正威氏の墓
碑を建設 併せて言行録をも編纂する 遺徳を慕う人々が計画」との見出しで、墓碑建設
資を募集する記事が掲載されました(7面)。記事の大きさや、少し大きめの写真入りとい
うことを考えると、大きなニュース扱いになっていることが分かります。

 その後、墓碑建設に対する寄付は順調に集まったようで、ついに翌昭和11年(1936年)8
月8日、三板橋墓地で「故鎌田正威氏 建碑祭」が三板橋墓地で行われました。

 70数年後の今日では歴史に埋もれてしまっている、鎌田氏の墓前に建立された鳥居が、
ここで初めて姿を表すことになります。

 上の記事は翌8月9日付の台湾日日新報の記事から。台湾国家図書館にマイクロフィルム
で保管されているため、文字が掠れてしまって一部読めない部分がありますが、墓前に鳥
居があることは視認できます。

 また、下の写真は、台湾総督府専売局が毎月発行していた機関誌『専売通信』(のちに
『台湾の専売』と改称)に掲載されている、「故鎌田正威氏奧都城建碑祭竝一年祭」の記
事です(第15巻9号105頁〜107頁)。こちらには、より一層はっきりと鎌田氏の墓前に鳥居
がそびえているのが見られます。
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2>> 台北市李登輝之友会からの義捐金贈呈式の模様を「チャンネル桜」が放映

● チャンネル桜の番組案内

 日本李登輝友の会常務理事の柚原正敬氏をお迎えし、東日本大震災に対する台湾からの
義援金が150億円近くにまで膨らみ続けている中、台北市李登輝之友会からも温かい支援が
届けられ、その贈呈式(4月24日)が行われた模様をお送りするとともに、先月末の同会総
会の際に台湾からネット中継された李登輝元総統からの激励メッセージについてもお伝え
しながら、日台連携強化の重要性について、お話を伺います。(4月25日)

■ 台湾有志からの支援と日台連携の強化[桜H23/4/25]
  http://www.youtube.com/watch?v=zeFKZEyvIac

● 視聴者から番組へのコメント

・台湾の皆さまありがとうございます。

・皆様の温かい応援に応えられるように日本人の一人として頑張ります。台湾の方々の応
 援を知らない人たちにも伝えます。恥知らずな日本政府の対応について本当に申し訳あ
 りません。

・頑張れ日本!!共に生きろ!!

・ありがとう台湾!!

・台湾の皆さんにはありがとうございます。日本はタカリばかりする特アの乞食国家や侵
 略・テロリスト国家より、台湾のような友好的で国民の民度も高い国と友好を深めるべ
 き。

・台湾の皆さん、有難う御座います。私は台湾が好きです。

・今まで日本人だと思って育ってきたのに明日から支那人にならなきゃいけないんだと言
 われたらと考えるとゾッとします。そんな苦労をされた台湾の方々がいまもこんなに日
 本を想ってくれているのは本当にありがたいことです。そしてそんな人たちの存在を最
 近まで知らなかった自分が情けない。

・御礼の言えない日本政府は糞だ!

・台湾の人たちは本当に日本が好きなんですね。日本はあなたたちに思いを寄せられるの
 に足る国でしょうか?
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3>> 烏山頭ダムを建設した八田與一氏のまんが人物伝が小学館から出版

【台湾週報:2011年4月19日】

 1920年(大正9年)〜1930年(昭和5年)の10年間、台湾南部の嘉南平原に、烏山頭ダム
と嘉南大[土川](水路)を建設した金沢出身の土木技師、八田與一氏の人物とその業績を
描いたアニメ本、「八田與一」が今年5月に出版される予定だ。

 同書は、小学館の「学習 まんが人物館」シリーズで出版されるもので、その副題には
「台湾に東洋一のダムと水路を建設した日本人土木技師」と記されている。内容はアニメ
と学習資料館に分けられ構成されており、アニメの部分では、八田氏が烏山頭ダム建設の
必要性を考えるに至るまでの当時の嘉南平原一帯における旱魃被害、塩害などの状況が紹
介され、続いて、建設が実現されるまで、また完成にいたるまでの経緯や苦労談などが、
八田氏の工事にかける真摯な姿勢、結婚なども合わせ描かれている。

 また、学習資料館では「八田與一 ひとと時代」という内容で、写真でたどる八田與一、
烏山頭ダム建設の軌跡、年表などがそれぞれ紹介されている。そのほか、故・八田晃夫氏
(八田與一氏の長男)の夫人で、自身の父親も台湾総督府土木部烏山頭出張所の所長をし
ていた八田綾子さんも当時の思い出を書いている。また、「財団法人八田與一文化芸術基
金会」の蘇俊雄・理事長が「八田與一への感謝と敬意」と題し文章を寄せている。同書は
日本の各小学校をはじめ中華学校にも学校図書として配布される予定となっている。

 八田與一氏の漫画は今回のアニメ本出版のほかにも、2008年にアニメ映画「パッテンラ
イ!!〜南の島の水ものがたり〜」が八田氏の出身地、金沢で公開され、翌2009年には同
映画が東京でロードショー上映されたほか、台湾各地でも上映され話題になった。

 八田與一氏は1942年(昭和17年)5月に戦死し、1945年(昭和20年)9月に八田氏の夫人
も台湾で亡くなった。烏山頭ダムと嘉南大[土川]の完成により不毛の地といわれていた嘉
南平原は肥沃な穀倉地帯へと変わったことから、地元の人々は八田氏に対する感謝と慰霊
の念を留めるために、烏山頭ダムのほとりに八田氏の銅像と夫妻の墓碑を建て、現在でも
毎年有志が墓前祭を行っている。

 さらに、昨年からは八田氏の一家が当時住んでいた宿舎やその場所一帯を「八田與一紀
念パーク」にする改修工事が進められており、今年5月8日の墓前祭では、同パークの開幕
式も行われる予定だ。
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■書 名:小学館版学習まんが『八田與一』
■著 者:まんが/みやぞえ郁雄 シナリオ/平良隆久 監修/許光輝
■版 元:小学館
■体 裁:菊判、160ページ
■定 価:1,155円(税込み)
■発売日:2011年5月27日
      http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784092271517
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  文化交流を主とした「日本の生命線」台湾との交流を深める本会活動にご参加いただ
  ける方は、ご入会を! 下記の「入会お申し込みフォーム」からですと、お手軽にお
  申し込みできます。               (日本李登輝友の会事務局)

■ 入会お申し込みフォーム http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0005.reg
■ 入会案内 http://www.ritouki.jp/guidance.html
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タグ:八田與一
posted by 親善大使 at 23:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日台共栄より
この記事へのコメント
2007年に「鎌田正威命奥都城」の碑が道で発見されたが、今は所在不明。
ご参考に
http://www.wretch.cc/blog/TDCKW/7929846
http://blog.xuite.net/chengbin/barefoot/11591810
Posted by 名無し at 2011年06月16日 03:17
名無しさん

 情報ありがとうございました。
Posted by 管理人 at 2011年06月20日 07:00
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