
>>>>> http://www.ritouki.jp/ ━━━━━━━━━━━━【平成23年(2011年) 5月1日】
☆★☆★ 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」 ☆★☆★
日台共栄のためにあなたの力を!!
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1>> 5月21日、本会千葉県支部が総会、田久保忠衛氏を講師に記念講演会
2>> 産経新聞「歴史に消えた唱歌」(5)─台湾編:大正デモクラシーに乗って
3>> 「ペタコ」のさえずりやメロディを「古い記憶のメロデイ」が収載
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■ 東日本大震災「お見舞い募金」にご協力を!(日本)
*募金総額:517万3400円(4月27日現在)
*お見舞い募金は「お志」ですので、いくらでも結構です。
*礼状はお出しできませんことをご了承のほどお願いします。
☆ 郵便局
加入者名:日本李登輝友の会 口座番号:00110-4-609117
・通信欄に「地震」「お見舞い」などとお書き添えください。
・一般の方は郵便局備え付けの「郵便払込取扱票」を、本会会員の方は機関誌『日台
共栄』に添付の郵便払込取扱票をお使いください。
☆ 銀 行
三菱東京UFJ銀行 本郷支店 普通:0012742
日本李登輝友の会事務局長 柚原正敬
(ニホンリトウキトモノカイジムキョクチョウ ユハラマサタカ)
■ 東日本大震災「お見舞い募金のお預かり」要綱(台湾)
☆ 東日本大震災「義捐金お預かり」振込口座
彰化銀行 古亭分行 帳號5116-51-106275-00 戸口HAYAKAWA TOMOHISA(早川友久)
・義捐金の「お預かり証」をお送りします。
■ 李登輝元総統から被災者へのメッセージ[桜H23/3/29]
http://www.youtube.com/watch?v=iGzkPlnMgUA&feature=youtube_gdata
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1>> 5月21日、本会千葉県支部が総会、田久保忠衛氏を講師に記念講演会
講演テーマは「激動する国際情勢と日本」
謹啓 時下益々ご健勝の事とお喜び申し上げます。平素は支部活動に多大な御協力を頂き
まして厚く御礼申し上げます。
さて、日本李登輝友の会千葉県支部は平成18年(2006年)9月に設立され、間もなく5年
を迎えます。
現状日本ではこの3月に発生した東北地方太平洋沖地震による津波、原発トラブルと民主
党政権による不信感を招く対応により現在も多くの同胞が困難に直面しています。
一方、台湾では「Pray For Japan」の掛け声の下で政官民一体となって日本に対しての
多額の義捐金の寄付を集めています。この台湾での国民総出の日本支援の動きは民間交流
によって培われたものであると確信しており、支部会員の皆様のご支援とご協力に衷心よ
り感謝申し上げます。
さて、第5回目の総会と外交評論家で杏林大学客員教授の田久保忠衛先生による記念講演
会を下記の日程で実施する予定です。皆様にはご多忙な日々と存じますが、万障お繰り合
わせの上ご参加下さるようお願い申し上げます。 謹白
平成23年4月吉日
日本李登輝友の会千葉県支部 支部長 川村 純彦
記
■日 時:2011(平成23)年5月21日(土) 13:30〜16:30(開場13:00)
■場 所:我孫子南近隣センター9Fホール・けやきプラザ
(JR我孫子駅南口徒歩2分)
〒270-1151 千葉県我孫子市本町3-1-2 TEL:0471-81-1011
■次 第:13:30─14:00
総会
14:30─16:30
記念講演
田久保忠衛先生「激動する国際情勢と日本」
田久保忠衛(たくぼ・ただえ)先生プロフィール
1933年(昭和8年)千葉県生まれ 早稲田大学第一法学部卒業後、時事通信社
入社。那覇支局長、ワシントン支局長、外信部長、論説委員を経て1984年、
杏林大学社会科学部(現・総合政策学部)教授、1992年、同学部長、2003年、
同大学客員教授。1996年、第12回正論大賞受賞、著書・共著とも多数。法学
博士(慶應義塾大学)。現在、国家基本問題研究所副理事長の他、多くの役
職を兼任。日本李登輝友の会副会長。
■参加費:総会のみ無料、記念講演までご参加の場合は¥1,000/人(講演会資料代含む)
■申 込:同封の葉書(兼委任状)に出欠と御住所、御芳名をご記入の上、ご返送下さい。
■期 限:2011(平成23)年5月19日必着
■担当者:金光俊典
TEL/FAX:03-6808-3706 E-mail:MLG25910@nifty.com
*ご連絡事項
当日会場設営等のお手伝いをされる方を募集しております。その場合は上記担当までご
連絡の上、11:45にJR我孫子駅改札口にご集合下さい。
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2>> 産経新聞「歴史に消えた唱歌」(5)─台湾編:大正デモクラシーに乗って
「歴史に消えた唱歌」(5)大正デモクラシーに乗って
文化部編集委員 喜多 由浩
【産経新聞:2011年5月1日】
1927(昭和2)年4月、詩人の野口雨情と作曲家の中山晋平は、童謡の演奏・普及を目的
に、歌手の佐藤千夜子(ちやこ)とともに台湾に赴いた。1日に神戸港を船でたち、台湾・
基隆港へは3日間の船旅。そこから台中、嘉義、台南、高雄と縦断し、約2週間にわたって
台湾各地で講演を行ったり、童謡を披露したりしている。ときに雨情45歳、晋平40歳。2人
のコンビで『シャボン玉』や『証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし)』な
ど童謡の名作を送り出し、佐藤(歌)を加えたトリオで『波浮(はぶ)の港』の大ヒット
を飛ばすのは、翌28年のことだ。
この旅で2人の巨匠は、エキゾチックな台湾の自然や風俗に大いに関心をもったようだ。
創作意欲をかき立てられた2人は、台中神社の境内の森で見かけた、かわいらしい小鳥を題
材に、新たな童謡を書く。翌28年日本でレコード発売され、後に台湾の子供たちにも愛唱
された『ペタコ』である。
ペタコは漢字で書くと白頭烏(別名シロガシラ)。文字通り、頭の白い毛が特徴で、ス
ズメよりやや大きく、10羽ぐらいで群れて飛ぶ。台湾では、よく見かける鳥のひとつだ。
■ラジオ放送で大流行
実は2人が作った『ペタコ』は台湾の唱歌集には掲載されていない。ところが、ラジオに
乗ってたびたび紹介されたことなどから、台湾全島で知られるようになり、後には、小学
校(主に日本人児童)や公学校(台湾人児童)の別なく、唱歌の授業で教えられるように
なる。
中田芳子(79)は台北の小学校に通っていたころ、子供唱歌隊に選ばれ、台湾放送協会・
台北放送局(JFAK)でよくこの『ペタコ』を歌った。
「全台湾の小学生から女の子ばかり40人が選ばれましてね、放送局で、いろんな歌を歌
うんです。時節柄、童謡のほかに軍歌もよく歌いました。メンバーには日本人だけじゃな
く、台湾人もいましたよ。『ペタコ』は唱歌隊でよく歌った歌ですが当時は、有名な人(雨
情や晋平)が作った歌だなんて、まったく知りませんでしたね」
台湾・中南部、嘉義の玉川公学校で教鞭(きょうべん)をとった佐藤玉枝(93)も、こ
の『ペタコ』の歌を「台湾人の児童によく教えた」という。子供たちにとっては、見たこ
ともない動植物や自然を歌った内地(日本)の唱歌よりも、はるかに親しみを感じること
ができたであろう。
台湾在住の日本人児童にも大人気だった。ユーモラスな言葉(歌詞参照)に親しみやす
いメロディーは子供たちの心をたちまちつかんだ。『ペタコ』は日本でも複数の童謡歌手
が歌い、今も歌い継がれている。
ところで、『ペタコ』という曲は「雨情・晋平版」のほかにもいくつかある。そのひと
つは、1934(昭和9)年から35年にかけて台湾総督府がつくった「公学校唱歌」集(第二
期)の第二学年用に収録されている歌だ。作詞者として、台湾・花蓮高等女学校の教師、
岡本新市の名前が残っている(劉麟玉著『植民地化の台湾における学校唱歌教育の成立と
展開』)。
中田はさらに別の『ペタコ』を歌ったことがあるという。「ペタコ、ペタコ、迷子のペ
タコ…」で始まる歌だ。それだけ、ペタコが台湾人にとって身近な鳥だったのだろう。
■「独自の唱歌」を後押し
『ペタコ』を作った雨情と晋平は大正期に始まった童謡運動に深く関わっている。この
運動は、従来の学校唱歌について、「歌詞が難解」「子供の生活から遊離している」など
と批判し、真に子供たちが楽しめる、芸術性にあふれた作品を作ろうとしたものだ。
時代背景には、大正デモクラシーと呼ばれた民主的な風潮があり、教育界でも子供の個
性や感動を重視する自由教育運動が広まった。こうした日本でのムーブメントはやがて台
湾へ波及し、子供たちの生活に密着した「独自の唱歌」作りに大きな影響を与えることに
なる。
1915(大正4)年、台湾総督府の国語学校(後の師範学校)教員である一條愼三郎が中心
となり、独自の唱歌を盛り込んだ、台湾で初めての「公学校唱歌集」(全46曲)が作られ
たことは前回、書いた。ただ、17曲の独自の唱歌のうち、本来の目的といえる「子供たち
が楽しんで歌える台湾の自然や動植物を盛り込んだ歌」は4曲だけで、教育現場の教師たち
の不満は解消されなかった。
このため、約20年後に編纂(へんさん)される第二期の「公学校唱歌」集では、台湾の
自然、動植物や歴史などを題材にした独自の唱歌が多数盛り込まれ、歌詞の公募まで行わ
れることになるのだが、その「流れ」を後押ししたひとつの要因が、こうしたムーブメン
トであり、時代だったのである。
当時の台湾の唱歌教育に詳しい相模女子大准教授の岡部芳広(48)=音楽教育=はこう
見ている。
「1937(昭和12)年の日中戦争以降は、台湾での教育も軍国化や皇民化の流れが強まる
が、それまでは比較的安定した『のんびりした』時代でした。大正期の自由教育運動や童
謡運動が台湾にも波及して、子供の個性尊重や生活、郷土に密着した教育が叫ばれ、必然
的に台湾の風土に即した教育が行われるようになったのです。『ペタコ』のように子供の
視線で書かれた童謡も当時は随分、作られたようですね」
こうした中で『ペタコ』とともに、台湾在住の日本人の記憶に残っている『ガジュマル
さん』という歌がある。ガジュマルはクワ科の常緑高木で、台湾など亜熱帯や熱帯に多
い。高さは約20メートルにもなり、幹が分かれて繁茂し、多くの気根(地上に出た根)を
垂らす。
昭和初期に台湾で小学校時代を過ごした日本人によって出された『絵本 台北の歌』に
はこう書かれている。「『ガジュマルさん』の歌を小学校で習ったが、長い髭(ひげ)根
はターザンごっこにもってこい。ゴツゴツした瘤(こぶ)根は木登りの足場に最高。男の
子はみんなこの木陰で仲良しになった」と。
『ガジュマルさん』の作曲者とされる勝山文吾は、台湾総督府の官吏で台北の小学校の
教師も務めたという。『ペタコ』と同じく、唱歌集には収録されていないが、やはりラジ
オで流され、子供唱歌隊の中田も「よく歌った」と話している。
「子供らしく、楽しめる歌を」という流れはその後、多くの独自の唱歌を生み出すこと
になる。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
◇
【プロフィル】野口雨情
のぐち・うじょう 1882(明治15)年茨城県出身。東京専門学校(現・早稲田大)中退後、
詩作を始め、1905年、処女詩集「枯草」を発表。「七つの子」「赤い靴」「シャボン玉」
など、多くの名作を書き、北原白秋、西条八十(やそ)とともに童謡界の三大詩人に数え
られた。45年、62歳で死去。
◇
【プロフィル】中山晋平
なかやま・しんぺい 1887(明治20)年長野県出身。東京音楽学校(現・東京芸大)卒。
1914年、芸術座の『復活』の劇中歌として松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」が大
ヒット。「波浮の港」「証城寺の狸囃子」「ゴンドラの唄」など流行歌、童謡、新民謡で
多くの曲を作った。52年、65歳で死去。
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3>> 「ペタコ」のさえずりやメロディを「古い記憶のメロデイ」が収載
蔡徳本『台湾のいもっこ』では白いヘルメットをかぶった刑務所の憲兵
本会のホームページに「古い記憶のメロデイ」というサイトをリンクしています。これ
は台湾の日本語世代の方で「大正11年の台湾生まれ、退職してから30年になります。平常
うろ覚えの古い唄を歌いながら自転車で散歩山登りして、日に一度静座します。パソコン
いじりはホンの初歩なのでこのホームページつくりは精いっぱいですが頑張ります」と作
成したサイトです。
「思い出の曲」「台湾の古い旋律」「軍歌、戦時歌謡」「台湾の校歌 其の他」「台湾
古楽」などとともに「童謡・唱歌」もアップしていて、そこに、本日の産経新聞「歴史に
消えた唱歌」が取り上げた「ペタコ」もあります。
「ペタコ」のメロディと3番までの歌詞が付いていて、「ペタコ」という鳥の解説もして
います。
なお、本日の産経新聞「歴史に消えた唱歌(5)大正デモクラシーに乗って」を読ん
だ、千葉県の冨澤賢公氏から、下記のようなお便りもいただいています。
この「ペタコ」という鳥の名前は『台湾のいもっこ』蔡徳本著(竹岡書店)の中に載っ
ています。それは鳥としてではなく、白いヘルメットをかぶった刑務所の憲兵としてです。
身に覚えのない罪で蔡徳本さんが囚われて、九死に一生を得た経験を書いた本です。白
色テロで無実の罪で囚われの身になった台湾人が処刑される朝に、白いヘルメットをかぶ
った国民党の憲兵が牢屋から彼らを連れ出すとき、長靴の足音がカッカッと響き聞こえて
きます。仲間の台湾人が口々に「ペタコが来た」と叫びます。白いヘルメットの国民党の
憲兵を頭の白い小鳥の「ペタコ」になぞらえてそう呼んだのです。
何回目かの李登輝学校でも李登輝先生は「ペタコ」の話をされました。今日の新聞記事
は台湾人にとって身近な鳥だったのだろうと書いています。戦後の台湾人の悲しい歴史の
中に埋もれた「ペタコ」という名前を別な面で紹介いたしました。
台湾の人々にとって身近な鳥ゆえに、刑務所で符号としても用いた「ペタコ」。見に覚
えのない罪を着せられて投獄される、蒋介石や蒋経国時代の「白色テロ」と呼ばれる暗黒
時代、密告社会が再び台湾に訪れることのないよう願いたいものです。
■ 古い記憶のメロディ
http://www.geocities.jp/abm168/index.html
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■ 古い記憶のメロディ「ペタコ」
http://www.geocities.jp/abm168/index.html
ペタコ
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平
1
ペタコ おっかさんに 白い ぼうし もろた
ペタコ 白いぼうし かぶってる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
2
ペタコ なくときに 白い ぼうし ふった
ペタコ 白いぼうしふってないた
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
3
ペタコ あそぶにも 白い ぼうし かぶる
ペタコ 白いぼうしであそんでる
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
ハ リャン リャ カ リャン ノ
リャン リャン リャン
「ペタコ」は台湾、琉球南部にしか棲息していない雀より稍(やや)大きい小鳥です。
「ペタコ」と言う鳥名は台湾語から来たもので(ペタコ=白い頭)、学名は「シロガシラ」
と呼ぶ。
童謡「ペタコ」を作成した経緯については「周明徳」さんの記述に拠ると昭和2年(19
27)4月4日、野口雨情は中山晋平、佐藤千枝子(歌手)らと童謡の演奏普及旅行で台湾に
来た。
野口雨情伝(金の星社発行)の記述によれば、彼は台中神社境内の森でペタコが囀(さ
えず)る音を聞いてこの童謡が出来たと言う。雨情はこの小鳥につき「頭に白い毛がある、
雀のように人家近くへ来て啼く」と説明していた。
台中神社は台中に在り、日本領台当初人口は1500人弱だったが、明治36年(1903)には
台中公園、諸官衙、学校、銀行、会社が相次いで設立され人口は10倍程に増加し、街区は
整然とした新興都市で「小京都」の雅名があった。
台中公園は台湾の由緒ある公園で明治41年(1908)縦貫鉄道(基隆─高雄間)全通式は
閑院宮殿下を迎えてここで挙行された。台中神社はこの公園の中にあり、大正元年(19
12)に竣工、翌年県社に列せられ、参道の大鳥居は高さ16m強のコンクリート銅版巻きで
熱帯樹の森に囲まれた幽静な環境であった。
この時、南国の春の情緒を味わいつつ境内をそぞろに歩いていた彼は綺麗な音で囀(さ
えず)る日本では見かけない奇妙な格好をした小鳥の群れを目撃した。白色ベビー帽を被
ったようなペタコの群であった。可愛らしい小鳥の群れよ! 忽然と霊感が湧いた次第で
せう。
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● DVD「野口健講演:台湾からの再出発」お申し込み
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0088.reg
● 増補改訂版 『台湾史小事典』お申し込み
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0076.reg
● 友愛グループ機関誌『友愛』お申し込み
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0082.reg
● 廖継思著『いつも一年生』お申し込み
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0075.reg
● 日本李登輝友の会「入会のご案内」
文化交流を主とした「日本の生命線」台湾との交流を深める本会活動にご参加いただ
ける方は、ご入会を! 下記の「入会お申し込みフォーム」からですと、お手軽にお
申し込みできます。 (日本李登輝友の会事務局)
■ 入会お申し込みフォーム http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0005.reg
■ 入会案内 http://www.ritouki.jp/guidance.html
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日本の「生命線」台湾との交流活動や他では知りえない台湾情報を、日本李登輝友の会の
活動情報とともに配信する、日本李登輝友の会の公式メルマガです。
● 発行:日本李登輝友の会(小田村四郎会長)
〒113-0033 東京都文京区本郷2-36-9 西ビル2A
TEL:03-3868-2111 FAX:03-3868-2101
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『中山晋平伝』(菊池清麿・著)
で知っていたので、有る程度は
理解できた。唱歌は日本の心
を涵養する音楽だと思う。