2011年06月28日

岐阜県支部が「台湾研修旅行録」を刊行─岐阜県支部のホームページでも閲覧可

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1>> 岐阜県支部が「台湾研修旅行録」を刊行─岐阜県支部のホームページでも閲覧可
2>> 自転車で台湾一周した横山宏吉氏の『古希の挑戦』を10部限定でお頒ちします
3>> 台湾と靖國神社  柚原 正敬(日本李登輝友の会事務局長)
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1>> 岐阜県支部が「台湾研修旅行録」を刊行─岐阜県支部のホームページでも閲覧可
   総会で今年も第2回の研修旅行を企画していることを発表

 本会17番目の支部として平成20年4月26日に発足した岐阜県支部(村上俊英支部長)は6
月26日、岐阜駅に隣接した「じゅうろくプラザ」において本部から柚原正敬事務局長、愛
知県支部から重冨亮(しげとみ・あきら)支部長を招いて第4回総会を開催した。

 総会では、今年度の事業計画や新しい幹事2名を加えた役員人事などが全会一致で承認さ
れるとともに、新たに多治見市や恵那市など岐阜南東部を「東濃分会」として発足させる
ことも発表された。

 総会ではさまざまな資料が配布されたが、その中に、昨年10月に実施した台湾研修旅行
の記録が「台湾研修録─平成22年10月28〜31日」というA4判、14ページの冊子にまとめ
られて入っていた。

 この研修旅行は、岐阜県支部と台湾・高雄市の美濃鎮と交流している大垣市美濃鎮研究
会の共催で行われ、19名が参加し、団長は支部の名誉会長で、バロー(岐阜県内を中心に
スーパーマーケットやホームセンターなど約200店舗を展開する東証1部上場企業)社長の
田代正美(たしろ・まさみ)氏。

 延々と続くバナナ園の写真が掲載された表紙を開くと、1ページ目からきれいなカラー写
真がふんだんに盛り込まれて、非常に見栄えがいい。きれいな写真は最後のページまで続
いていて、思わず惹きこまれる。写真だけでも“見せる”内容となっている。

 それもそのはずで、撮影したのはプロ・カメラマンの渡辺裕一氏だ。岐阜県支部は先行
して発足した愛知県支部(平成18年6月11日設立)とは兄弟づきあいをしていて、講演会や
街頭活動などを共催しており、総会にも必ずお互いの支部長を招きあっている。その橋渡
し役が愛知県支部の事務局長でもある渡辺氏で、この研修旅行にも記録担当で同行した。
プロが撮るのだからきれいなわけだ。

 岐阜県支部はそれまで兄貴分の愛知県支部が主催する台湾研修団に「合同」という形で
参加していた。しかし、そろそろ単独での台湾研修をということで企画したのが昨年の訪
台だった。

 台湾では李登輝元総統をはじめ蔡焜燦氏(李登輝民主協会理事長・台湾歌壇代表)や黄
昭堂氏(台湾独立建国聯盟主席)などともお会いし、友愛グループの方々とも夕食会を開
くなど充実した研修旅行だったことが手に取るように伝わってくる。

 ここまでは本会の他の支部の訪台内容とほぼ似ているが、この研修旅行が大垣市美濃鎮
研究会と共催したことのオリジナリティが後半で発揮される。

 先に述べたように、大垣市美濃鎮研究会は高雄の美濃鎮と交流を続けているが、旅行の
後半は美濃鎮を訪問するため「美濃鎮訪問団」と衣を替え、大垣市美濃鎮研究会会長の堀
冨士夫(ほり・ふじお)氏が団長となる。

 台湾には県、市、鎮、郷、町などの行政区があり、鎮や郷は県の管轄を受ける行政区で、
一般的に郷よりも鎮の方が上のようだが、日本で言うなら鎮も郷も群に当たるのだろうか。

 一行は美濃鎮公所を訪問して昼食会を交えた交流をし、また地元の美濃愛郷協会とも夕
食会を開いて交流するなど、岐阜県ならではの特色を生かした大変中身の濃い研修旅行の
ようだった。総会では、今年も第2回の研修旅行を企画していることが発表された。

 この「台湾研修旅行録」が一般には入手できないのが残念だ。しかし、岐阜県のホーム
ページに「岐阜李登輝友の会・台湾研修ツアー」と題して、冊子と同じ写真、同じ文章を
掲載している。ぜひご覧いただきたい。

◆ 岐阜李登輝友の会・台湾研修ツアー
  http://www.bunka.tank.jp/20101028_31gifu_ritouki_taiwantour_top.html

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2>> 自転車で台湾一周した横山宏吉氏の『古希の挑戦』を10部限定でお頒ちします
   お申し込みは本会事務局までFAX、メール、郵送で

◆ 70歳で東京・大阪を自転車で完走

 古希(70歳)を過ぎ、72歳を目前にした老躯を駆って、親善と慰霊のため自転車で台湾
を一周した方がいる。岐阜県岐阜市に住む横山宏吉(よこやま・ひろきち)さんという、
昭和13年(1938年)7月生まれの本会会員だ。

 岐阜市内で不動産業や喫茶店を営んでいた横山さんは喫茶店の閉店を機に、体力づくり
のために3年前の平成20年、古希を迎える年に自転車を購入して体力づくりに励んでいた。
そこで、自身の体力と気力に挑戦するため、東京・大阪間を自転車で走破してみようと一
念発起。岐阜女子大の学生寮の大家もつとめる横山さんは、寮生にサポートを依頼したと
ころ、3人の女子大生が手を上げ「チーム横山」を結成したそうだ。

 大東亜戦争で実兄と義父を亡くしている横山さんはその年の9月4日、気温28度、うす曇
りの下、靖國神社に走破の無事を祈ってからスタート地点の日本橋に。東京から大阪まで
は565.6キロ。国道一号線をまっしぐらとはいえ、とてともない距離だ。神奈川、静岡、愛
知、京都、そして5日後の9月8日、ついにゴールである大阪・梅田新道交差点へたどり着く。
4泊5日、天候にも恵まれ、サポート隊に見守られ565キロを完走した。

 この間のことを「心の句」として書き留めている。その数82。靖國神社に祈願したとき
からゴールの梅田まで、様々な心象風景がつづられている。

 靖国は義父(ちち)と兄とが永久(とわ)に眠て
 ゴールして感謝の気持ち声つまり

◆今度は865キロの台湾一周慰霊の旅を走破

 横山さんはその後、所属する岐阜北ライオンズクラブの日台交流が縁で、台北市のライ
オンズクラブからの誘いを受け、親善のための台湾一周を計画した。平成21年(2009年)
11月、台北ライオンズクラブで「台湾一周865キロ自転車の旅」の計画を発表もしている。

 準備も整い、72歳を迎えようとしていた横山さんは翌年4月にいよいよ台湾に渡るが、そ
の直前、靖國神社が発行する会報「靖國」3月号に本会の柚原正敬事務局長が寄稿した「台
湾と靖國神社」を目にする。それを読んで「日本の統治下にあったために、多くの人が犠
牲になったのは申し訳ない」という思いに強く駆られ、台湾の自転車一周は「慰霊の旅」
にしようと決意、柚原事務局長に台湾における日本関係の慰霊の場を教えて欲しいという
趣旨の手紙を出す。

 靖國神社を介して横山さんからの手紙を受け取った柚原事務局長は、烏来の高砂義勇隊
記念碑、台中の宝覚禅寺、屏東・牡丹郷の「大日本琉球藩民五十四名墓」、屏東・恒春の
潮音寺など11ヵ所を紹介した。また、靖國神社の遺族でもある屏東の華阿財氏とぜひあっ
て欲しいとも書き送った。横山さんからは丁重な返信があり、本会に入会したいという申
し出もいただいた。

 台湾を時計回りに一周することとして、平成22年(2010年)4月12日、スタート地点の台
湾大学を出発。この日は110キロ、2日目は80キロ、3日目は100キロと、1日ほぼ100キロの
ペースで進む。そして9日目の4月20日、ついに865キロを完走して台湾大学にたどり着く。

 いかに伴走者がいるといっても、9日間、自転車に乗りっぱなしだ。かつて、やはり台湾
一周に挑戦した本会の20代会員は道半ばでお尻の皮がむけ、ほとんど走行不能となったが、
同行した台湾の人々に助けられてほうほうの態で戻ってきたことがあった。横山さんは大
丈夫だったようだから、よほど事前準備を入念にしたのだろう。

 横山さんは昨年9月、自転車で東京・大阪と台湾一周をした記録を『古希の挑戦』と題し
て出版、知り合いの人々が出版記念会も開いてくれたという。『古希の挑戦』の東京・大
阪間の部には、関係写真とともに、先に紹介した「心の句」が掲載され、また台湾一周の
全工程は地図とともに約50枚もの写真でつづられている。

 この『古希の挑戦』をご希望の方には、10部限定、無料でお頒ちしたい。本会まで、1)
お名前、2)ご住所、3)電話番号をそえ、「『古希の挑戦』希望」と書き添え、本会事
務局まで、FAX、メール、郵送でお申し込みいただきたい。10部だけですので、申し込
みが10部に達した時点で終了です。

 なお、いささか長文だが、横山宏吉さんが読まれた靖國神社の「靖國」3月号(平成22年)
に掲載された柚原事務局長の「台湾と靖國神社」を次に紹介したい。

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3>> 台湾と靖國神社  柚原 正敬(日本李登輝友の会事務局長)

【靖國神社発行「靖國」(平成22年3月1日)】

 台湾と靖國神社の縁(えにし)は深い。その最大の所以は、台湾は明治二十八(一八九
五)年から昭和二十(一九四五)年までの五十年間、日本統治時代を経たことで、大東亜
戦争では約二十一万人が軍人・軍属として出征、そのうち戦歿された二万七千八百六十四
柱が御祭神として祀られているからだ。

 また、靖國神社の正門に当たり、両扉に直径一・五メートルにも及ぶ菊の御紋章が映え
る神門は昭和九年に竣工されている。ここで用いられている資材はすべて台湾の阿里山檜
だ。今でも、近づけば檜の香が漂ってくる。

 さらに、靖國神社では毎日必ず日章旗を掲揚しているが、大鳥居(第一鳥居)をくぐっ
た左側に、高さ三〇メートルに及ぶ、まさに天を突くと言ってよい国旗掲揚塔があり、こ
れは昭和五十一(一九七六)年に台湾軍第四十八師団復員者により寄贈されたものだ。

 因みに、台湾では朝鮮に遅れること四年、昭和十七(一九四二)年に陸軍特別志願兵制
度が実施され、同年の採用者数千二十人に対してなんと四十二万五千人も応募(倍率=四
一八倍)し、翌十八年には一千八人の募集に六十万人も応募(倍率=五九六倍)する事態
となった。昭和十九年からは朝鮮と台湾に海軍特別志願兵制度が実施され、採用者数も二
千四百九十七人に増員したため、倍率こそ三〇四倍と落ちたものの、七十六万人も応募し
ていた。中には血書嘆願した者も少なくなかったという。

 このような熱狂的と言っても過言ではないほどの志願兵への応募というのは、果たして
世界に類例があるのだろうか。寡聞にして私は知らない。

 ところが、このように自分たちの同胞が祀られているにもかかわらず、台湾の人々は靖
國神社についてほとんど知らない。知っていても、参拝する人は少ない。

 例えば、戦時中、神奈川県の高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の生産に汗を流した「台湾
少年工」と呼ばれる人々がいる。働きながら学べるとして、台湾各地の成績優秀者が少年
工に選抜され、昭和十八年から八千四百人余が軍属の身分で来日した。不幸にも、空襲で
戦歿された方もいる。

 現在、靖國神社には台湾少年工出身の戦没者六十柱が祀られている。しかし、日本を「第
二の故郷」と慕う台湾少年工たちでさえ、桜の季節には靖國神社を参拝し、大村益次郎の
銅像の下で「同期の桜」や「台湾軍の歌」を歌いながらも、戦歿した仲間が祀られている
ことを知らなかったのである。

 それを知ったのはつい十年ほど前で、台湾少年工たちと交流を続けている野口毅氏(高
座日台交流の会前会長)の尽力による。海軍少尉として台湾少年工の寄宿舎で寝起きを共
にした野口氏が、戦歿台湾少年工の数が資料によって違っていることに気づき、靖國神社
崇敬者総代を務める小田村四郎氏から、軍属なら靖國神社に祭られているという助言を得、
靖國神社に台湾少年工出身の戦没者が祀られていることを確認したことによる。

 平成十一(一九九九)年四月、野口氏らは台湾少年工出身者とともに初めて?國神社に
昇殿参拝している。その後、彼らは来日するたびに参拝しているという。

 台湾の人々が靖國神社について知る最もおおきな出来事はさらに後で、李登輝元総統が
平成十九(二〇〇七)年の来日時に参拝されたことに求められるだろう。

 実兄が祀られる靖國神社に遺族として初めて参拝した六月九日、境内は早朝から報道陣
や歓迎の人波であふれ、上空には数機のヘリコプターが舞うという騒然とした雰囲気の中
に、静かな緊張感が漲っていたことを思い出す。

 李氏は曾文恵夫人や作家の三浦朱門・曽野綾子夫妻などを伴って到着し、応接室に通さ
れると、南部利昭宮司に「兄貴と僕は二人兄弟で仲がよかったんです」と話し始め、「父
は兄貴が死んだことを死ぬまで信じませんでした。気になって気になって仕方がなかった。
今日、六十数年ぶりにやっと兄貴の慰霊ができます。ありがとうございます」と、くぐも
る声で、目を潤ませながら静かに語った。隣室に控えていた私は込み上げて来るものを抑
えられなかった。昇殿参拝が終わって応接室に戻ってくると、李氏は南部宮司に「長い間
お世話になりました」と頭を垂れた。

 後日、南部宮司はそのときの思いを「歓談の中で李登輝先生の靖國に対する想いという
ものを改めて感じた」とつづり、「お帰りの際には、神社から差し上げた岩里武則命(台
湾名・李登欽)の『祭神之記』をしっかりと胸に抱いて行かれたのが印象的でした」(『李
登輝訪日・日本国へのメッセージ』)と述べている。

 実は、この李氏の参拝には伏線があった。前年二月、南部宮司は日本李登輝友の会主催
の天灯ツアーに参加して台湾を訪問している。靖國神社の宮司として初の台湾訪問だった。

 このとき、台湾李登輝之友会が催した春節(旧正月)祝賀宴に参加し、「老台北」で知
られる蔡焜燦氏の導きにより、祝宴前にホテル内の別室で李氏ご夫妻とお会いしていた。
会見の内容は詳らかではないが、靖國神社宮司との会見が参拝を促したことは想像に難く
ない。

 李氏の靖國参拝は台湾でも新聞やテレビで大きく報道され、これ以降、靖國を参拝する
台湾の人々がかなり増えたようだ。

 例えば、昨年八月、NHK「JAPANデビュー」問題で来日した台湾の原住民、パイ
ワン族出身の医師、李文来氏や、十月に来日してNHKを提訴した同じパイワン族出身の
華阿財(元牡丹郷郷長*郷長=村長に相当)、包聖嬌(華阿財夫人)、李新輝(元春日郷
郷長)、洪金蓮(李新輝夫人)の四人も、来日直後に参拝している。いずれも初めての参
拝だった。

 李登輝元総統を尊敬しているという李文来氏は八月十二日、パイワン族の衣装を身にま
とい、念願だった昇殿参拝に臨んだ。参拝後、「僕たちは高金素梅と違って、私たちの祖
先が祀られている靖國神社にちゃんと参拝したいと思っています」と言った氏の晴れやか
な笑顔は印象的だった。

 華阿財氏たち四人の参拝は十月六日だった。華氏と李氏の叔父が高砂義勇隊として出征
し、共に戦歿していたことから、ぜひ参拝したいという意向だった。やはりパイワン族の
衣装を身にまとって昇殿参拝したのだが、夫人たちの目は境内に入ったときから潤みはじ
めていた。

 参拝後、応接室に戻って涙をぬぐいつつ「私たちは高金素梅とは違う。台湾の原住民は
あのような騒動を好まない」「靖國で私たちの先祖にお会いした。大切にお祀りされてい
ることを知り感激した。これで安心して故郷に帰れる」などと話すのを聞き、台湾でもお
祭りを大事にし、守り続けるパイワン族の人々は今でも魂の存在を感じることができるの
ではないかと、心を打たれた。靖國神社を去るとき、夫人たちが正殿に向かって深々と頭
を垂れ、大きく手を振って別れを告げる姿は、まるでそこに彼らの祖先が佇んでいるよう
な仕草だった。

 後日、靖國神社から華阿財氏と李新輝氏の叔父に関する御祭神調査の結果が届き、華氏
の叔父は高木香という日本名で祀られていることが判明した。残念ながら、李氏の叔父は
確認に至らなかったが、大東亜戦争終結からすでに六十五年も経とうとしているのだ。台
湾出身戦歿者の場合は、その兄弟ならまだしも、年下の甥や姪の世代では日本語を話せな
い場合も少なくなく、所属していた部隊名や戦歿した年や場所、あるいは当時の本籍地な
どを正確に知っていることは期し難い。ましてや、異国となった日本にそうそう来られる
わけでもない。

 昭和十三年生まれだという華氏は日本語を話せる日本語世代に属するが、それでも普段
は日本語を使う機会はほとんどないという。夫人は日本語を話せない。今後、台湾出身戦
歿者の新たな御遺族を探し当てるのはかなりの困難が伴うことは確実だ。

 日本李登輝友の会では毎年十二月に「台湾出身戦歿者慰霊祭」を靖國神社において斎行
している。昨年で五回目となる。台湾出身戦歿者を対象とした靖國神社での慰霊祭は、恐
らく初めてのことと伺っているが、私どもの今日が戦歿者の尊い犠牲の上にあることを忘
れないようにし、日本と台湾の深い結びつきは台湾出身御英霊からの賜り物であることに
思いを致し、感謝と報恩の誠を捧げる場としている。

 この慰霊祭に、できれば台湾の御遺族をお招きしたいと考えている。それが新たな御遺
族の発見につながることを期待するからである。

 また、台湾には台湾出身戦歿者を祀る宝覚禅寺があり、李登輝氏が総統のときに揮毫し
た「霊安故郷」碑が建立されている。この慰霊碑の建立には日本人も協力している。そこ
で、靖國神社と宝覚禅寺が姉妹交流できないものかと密かに考えている。

 国交のない日本と台湾において、姉妹都市交流を結んでいるのは岡山市と新竹市、仙台
市と台南市、八王子市と高雄市など十六自治体に及ぶ。秋田の田沢湖と高雄の澄清湖の姉
妹湖の例もある。戦歿者をご縁とした姉妹交流が日台間にある方がむしろ自然である。台
湾に靖國神社を知らしめる意味でも、その実現を切に願っている。

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  文化交流を主とした「日本の生命線」台湾との交流を深める本会活動にご参加いただ
  ける方は、ご入会を! 下記の「入会お申し込みフォーム」からですと、お手軽にお
  申し込みできます。                (日本李登輝友の会事務局)

■ 入会お申し込みフォーム http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0005.reg
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