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メルマガ版「台湾は日本の生命線!」
中国の軍拡目標はアジア太平洋での覇権確立。そしてその第一段階が台湾併呑。
もしこの島が「中国の不沈空母」と化せば日本は・・・。中国膨張主義に目を向けよ!
ブログ「台湾は日本の生命線!」 http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/
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台湾戦後世代の「台湾兵(日本兵)と中国兵」(大東亜戦争当時)比較は興味深い!
この記事が話題にする写真はブログでご覧ください。↓
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日本領だった台湾が終戦直後、蒋介石の中華民国に接収された当時の歴史が、FACEBOOKで話題になっていた。取り上げたのは台湾の若者だ。
それを翻訳してみよう。まずこんな話が紹介されている。
< 一九四五年十月五日、台湾省行政長官公署及台湾省警備総司令部前進指揮所の人員が葛敬恩就任引率の下、台北に到着した。「五機の飛行機で松山飛行場に到着したとき、台湾総督府の諫山参謀など高級幹部、台湾人士紳、そして軍刀を光らせる日本兵が歓迎で立ち並ぶのを見た葛主任は、何と機内に隠れて出てこなかった。結局王民寧先生に押されて姿を現したのだが、これでは威儀もなにもあったものではなかった」(中央通訊社台湾特派員、葉明勲の証言) >
葛敬恩氏とはここにもあるように、中華民国の台湾統治機構である台湾行政長官公署の秘書長と台湾省警備総司令部前進指揮所の主任で、この年十月二十五日に行われる日本軍降伏受入の式典を開催のため、上海から飛来したわけなのだが、戦勝国の代表であるにもかかわらず、諫山春樹第十軍参謀長ら日本軍将兵の威風堂々たる様を見て、腰を抜かしてしまったというエピソードだ。日本の陸軍大学での留学経験もあるのだが、日本でいったい何を学んできたのか…。
それでも同氏は台湾人には傲慢だった。近代的な日本人教育を受けていた台湾人を「中華文化の薫陶を受けていない二等公民だ」と蔑み、差別を加えた。「何でこんなチャンコロどもに、我々は馬鹿にされなければならないのか」というのが、当時の台湾人に共通した思いだった。なお葛敬恩氏はその後、中共に寝返っている。
さて、もう一つ似たような中国人たちのエピソードも書かれていた。
< 一九四五年十月十七日、警備総司令部、七十軍、一〇七師団は「米海空軍の掩護課で基隆付近から順調に上陸を果たした」(台湾省参議会第一回第一次大会台湾省行政長官公署施政報告)。「軍艦がドックに入り、梯子が下され、戦争に勝利した中国の軍隊が下船してきたのだが、最初に姿を現したのは、だらしのない奴で、見かけも動きも軍人というよりクーリーのようだった。天秤棒に雨傘、綿入れ、鍋、靴などを下げていたが、みな銃すら持っていなかった。秩序や規律を守ろうという気はなく、押し合いながら下船してきた。地面を踏むことができて嬉しそうだったが、両側に整列し、格好良く敬礼して出迎える日本軍には顔を向けることをできずにいた」(彭明敏氏の証言)。大喜びで出迎えた台湾民衆が驚き、失望したことは、今でも老世代の語り草だ。 >
「祖国(中国)の軍隊が来る。今後台湾人は祖国の懐に抱かれ、日本人に差別されることなく、一等国民となることができる」との宣伝を鵜呑みにし、期待で胸を膨らませていた台湾の民衆。これまで見慣れた規律正しい日本兵に比べ、中国兵があまりにも惨めなのを見て驚愕しても、なお多くは「きっと抗日戦争で苦労したからだ」と優しく見守ろうとしたとされる。しかし、実はこの集団こそが、前近代的で野蛮極まりない「祖国」を象徴する存在であると気付くのに、さほど時間はかからなかった。
かくて台湾人は、中国人よりも日本人こそ、自分たちと同一の近代文明をもつ存在だと気付き、「反中・親日」へと大きく傾くのだが、すでにそのとき台湾は、中華民国の独裁支配下に置かれ、子供達の世代は中国人化教育(反日教育)が施され、恐怖政治の下で歴史の真実を語れない親の世代との間に、深刻な意識上の溝も生まれて行く。
だが民主化時代が到来で戦後生まれの世代でも台湾人意識が高まり、かつての洗脳教育の影響(反日的な中国人意識)は大きく払拭されたかに見える。きっと台湾人ならではの理知的な近代文明精神が、戦後世代にも受け継がれているのだろう。だから中国人の政治宣伝など乗り越えることができた。そしてこの世代にも自ずと「反中・親日」に向う傾向があることを、このFACEBOOKの記事は教えてくれるのだ。
と言うのは、そこには二枚の写真も並べられている(前掲)。一枚は凛凛しい表情で不動の姿勢をとる日本兵の写真。「台湾兵」と説明されているから、台湾人の日本兵なのだろう。そしてもう一枚はあの時代の中国兵だ。姿勢は素より、顔の表情からして弛緩している。しかも草履履きだ(草鞋みたいだ)。
そしてこの対照的な二枚の写真について、若者たちがコメントをいろいろと書き込んでいるのだが、そこには次のようなものがあった。
「勝敗は明らか」
「台湾兵がかっこいい」
「日本は正規軍だが中国は山賊、土匪、ゴロツキで組織された雑軍だから、比較しようがない。もし米国が広島と長崎に原爆を投下しなければ、中国が勝つはずがない」
「一目で違いが分かる。中国兵はどうしてこんなにレベルが低いのか」
「まるで水滸伝に出てくる盗賊」
「おじちゃんから聞いた話だが、当時台湾で使われていた木の便器を洗って乾かしていると、中国兵がやってきて盗んで逃げた。おじいちゃんがそれは便器だと教えようと追いかけたのだが、話すのを止めた。すでに中国兵はそれに飯を入れて食べていたからだ。これは本当の話」
「おばあちゃんから聞いた。中国兵は農家に果物がなっているのを見ると集団で採り、鶏を見ると捕らえ、女を見ると…」
「私の祖父は日本時代は知識分子。死を恐れない学徒兵として高雄港を守っていた。彼が最も見下していたのが中国兵。死ぬことばかり恐れ、だらしなく、軍人精神が少しもなかったといっていた」
「おじいちゃんは家族や友人とともに、台湾を離れる日本人たちを涙と送ったらしい。それはお互いの情感のためだけでなく、国民党がもたらした苦しみとも無関係ではなかったそうだ」
抗日の歴史問題を引っ張ってきては、反日、侮日を叫んで民族意識を確認し合うのが今日の中国人だが、台湾人の場合は以上のように、先人が日本の側に立っていたことを挙げながら、中国人に対する優位を確認することができるのである。
日本人には台湾は中国の一部と勘違いし、「中国統一」に賛意を示す者も少なくないのだが、このような台湾の人々を、再び中国の支配下に入れてしまっていいのだろうか、と私はしばしば思うのだ。
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【告知】
台湾の震災支援に感謝するとともに、
戦地で散華された台湾人英霊を拝みまつる!
8・15靖国神社前「感謝台湾・支持台湾!」街宣活動
時間:早朝から夕刻まで
場所:靖国神社前―東京メトロ「九段下駅」1番出口を出てすぐの場所。
内容:演説とチラシ配布
主催:台湾研究フォーラム(当日連絡先:090−9332−1881)
協力:台湾建國應援團
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発行 永山英樹(台湾研究フォーラム)
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タグ:大東亜戦争