2012年06月11日

【知道中国 745回】かつて昆明は親日都市だった

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 745回】                       一 ニ・
四・念九

    ――かつて昆明は親日都市だった

 雲南省の省都・昆明は2回目。前回はバンコクか ら1時間ほどだったが、今回
は上海で乗り継いだ国内線ですら3時半ほど。大陸の広さだ けでなく、この街の
東南アジアとの距離の近さを改めて実感すると共に、日本からの遠さを知った。
やはり昆明は日本からは遥か に遠い中国西南の辺境の街で、 僅かに日本のマラ
ソン選手の高地トレーニングの適地として知られている程度であり、過去にも日
本とは馴染みの薄い街だったと 思っていた。だが恥ずかしなが ら、それは大い
なる誤解、いや無知だったようだ。

旧市街に残された20世紀初頭に創設された雲 南陸軍講武学堂を見学した。この
学校は清朝打倒の革命から共産党政権成立までの半世紀余の間に多くの功労者を
輩出し、共産党 政権成立の元勲たる朱徳や葉剣英も学ぶなど、20世紀前半の中
国に大きな 足跡を残しているとの説明だったが、見学者のために配置されてい
る当時の教室や付属病院の佇まい、さらに銃剣術の訓練風景の 写真からは中国
風は感じられ ず、どこかに日本風が漂っていた。それもそのはず。この学校は
日本人を抜きにしては語れないようだ。

清 末における清朝打倒革命の中心の一つが雲南だったが、その原動力は日本の
士官学校に学んだ若き将校たち。彼らが母校であ る日本の士官学校に倣って創
設した この学堂に馳せ参じたのが、東京で革命を画策していた孫文などに共感
したことから陸大を退学させられたうえに剥官処分を 受けた加藤信夫である。
彼は体育学 校を創設し主任として講武学校の予備教育に尽力している。一書に
曰く、「雲南における(清朝打倒)革命の成功は、氏の功 績に負ふところ少く
なかった」と。

辛亥革命を機に誕生した中華民国時代、雲南を基 盤に中国政治に影響力を発揮
した人物に唐継尭がいるが、彼もまた日本の士官学校に学んだ親日家であり、山
縣初男以下数人 の日本人を顧問として招請し、省の財政・軍事などを委ねた。
大正5年から末期までのことだ が、昆明滞在の日本人は100人を超え、日本から
大工 や左官を呼び日本流の座敷を作り、省政府高官の邸内には桜が植えられて
いたそうだ。陸相を経験した板垣も大尉時代には駐在武 官として滞在してい
る。一書に いわく、「昆明湖には日本からモーター・ボートをとりよせ浮かべ
たりし日本人の黄金時代を現出したものである」と。

「かつての親日都市昆明」も、日中戦争勃発を機 に「抗日拠点」へと性格と役
割とを変える。連合軍による援蒋ルートの拠点となり、毛沢東が1949年の共産党
政権成立を機 に鎖国政策に踏み切ったことから、昆明は中国西南辺境の山中に
隠されてしまい、加藤も山縣も忘れられ、日本の関心も昆明から は遠のくこと
となる。

だが、1970年代末に」小平が改革・開放の大号令を発し、90年代初頭に李鵬首相
(当 時)が「西南各省は南に連なる東南アジアに向かって大胆に進め。自らの
智慧と力で貧困を打ち破るべし」と命ずるや、四川、貴 州、広西などの西南各
省は雲南 省を軸にして東南アジアとの接点を求め動き出した。じつは華僑にみ
られるように、漢族は“熱帯への進軍”とも呼ぶべきほどに 大量の南下を歴史的
に繰り返し てきた。つまり進軍は再開されたのだ。

か くしていまや昆明は歴史的に担ってきた東南アジア、インド、さらに西のイ
スラム世界と交渉の接点としての役割を見事に復 活させた。そのうえ最近では
古都で 知られる西安の西に位置する宝鶏とを結んで、その先の中央アジア、さ
らにはヨーロッパとの間の新物流ルートである「欧亜 大陸橋」のハブとしての
役割をはす べく動き始めた。

改めて雲南を真ん中に地図を眺めれば、中国大 陸、東南アジア、インド亜大陸
の中心に昆明が位置していることが判るはず。その戦略的位置を考えれば、明
治・大正の先人 が持った戦略志向を改めて学ぶべし。高地・昆明の夜の涼気が
教えてくれるようだった。《QED》
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2012年06月10日

【知道中国 744回】この場合、「無知の知」は成り立たない・・・断固として

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 744回】                       一 ニ・
四・念八

    ――この場合、「無知の知」は成り立た ない・・・断固として

 上海で昆明行きの国内線に乗り換え手にした 『環球日報』(4月27日)で目に
付いた記事 は、「深度報道」欄の「日本勢力、再度の東南アジア進出に勢いづ
く 政治・経済・文化・教育の各方面からの滲透 侵略者の姿 を消すことに成
功」と題された評論記事だった。4人の「本報駐外記者」 が、3月21日に東京で
開催された日 本・メコン地域諸国首脳会議を中心に野田政権による最近の日本
の東南アジア外交を詳細に論じている。

  日本・メコン地域諸国首脳会議を指し「今次会議は日本による“第2次アジ
ア・マーシャル・プラン”だろうか。最近になっ て複雑微妙な情況を呈しつつあ
る東 南アジアにしばしばチラつく影、それが日本だ」と書き出された記事は、
「日本はメコン流域国家に過去には見られなかった 最大級の政府援助と債務免
除を高ら かに宣言したが、さらに自衛隊による在フィリピン米軍基地への長期
駐屯情報まで伝えられる」と続け、東京での会議で@ ミャンマー、ラオス、タ
イ、カンボジ ア、ヴェトナムの参加5カ国に対し高速鉄道事業 などを含む総事
業費2兆3千億円余を拠出、A 対ミャンマー円借款延滞債権のうちの3千億円余
放棄を決定――これを「札束外交」と呼び、「より注視すべきは、背後に見え隠
れする日本による東南アジアに対する政治と軍事の両面からの介入だ」と糾弾した。

 以下、朝日、毎日、日経、産経などの日本の各 紙やタイ英字紙のネーション
などの記事、さらに関係各国研究者の発言などを織り交ぜながら、以下のような
主張を展開す る。

 第一に過去、現在はもとより将来にわたっても 「日本は東南アジアへの意欲
を持続し、諦めることはない」とし、過去と現在の事例を紹介した後、その確た
る証拠として会 議が採択した「Tokyo Strategy for Mekong−Japan
Cooperation 2012」を挙げる。いわく、この文書は「朝鮮の衛星発射や朝鮮に
よる日本人拉致非難など、メコン流域とは関係のない文言までが盛り込まれてい
るが、これこそが日本の意図の明確な証拠であ る」。

  第二に日本は東南アジアが持つ資源と戦略的位置を欲しているだけでなく、
「日本のさらなる懸念は、東南アジアにおける中 国の“存在”」であり、「中国
と競 うため、最近になって日本は東南アジアへの投資を急増させている」。
「日本の対外援助は“政治大国戦略”の延長上にあ り、その援助は東南アジアを
友と看做 す立場からから発せられたものではなく、明確な戦略に基づき、被援
助国の防衛と外交政策に対するヒモ付きである」。

 第三に日本は東南アジアで新たなるイメージを 打ち出している。戦後数10年
の間、「日本は東南ア ジアに対し文化宣伝とソフト・パワーの輸出に意を注
ぎ、かつての侵略者のイメージを払拭することに成功した」。いまや日本は
「東南アジアで投資者であり同 時に国際社会における友人として迎えられてい
る」。だが、問題は鎧の下に隠された意図だ。たとえばカンボジアに対する援助
の 中には「人口調査や地理測量な どの項目があるが、将来的に軍事面で利用し
ないと誰が保証できるのだ」。このように日本の援助は東南アジアの将来を掌握
しよ うという意図から発せられてい る。

  同記事の意図的な誤解に不快感を抱きつつ思ったことは、やはり日本政府の
将来に渡る東南アジア外交の意図と方向性だ。こ のまま進めば、その当否はと
もかく も、いまやメコン流域を裏庭と看做し我が物顔に振る舞っている北京と
の摩擦は必死だろう。従来のままに北京の顔色を伺い ながらの成り行きと出任
せの外交が 続くなら、2兆3千億円余が産むはず の“果実”は、回りまわって北
京に掠め取られる危険性は大だ。日本政府にとっての急務は、北京との摩擦を覚
悟しての確固たる 「Strategy for Japan」の構築な野田。《QED》
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2012年06月09日

【知道中国 743回】その言い草を、滑稽無類・荒唐無稽・笑止千万といいます

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 743回】            一ニ・四・念七

    ――その言い草を、滑稽無類・荒唐無 稽・笑止千万といいます

 4月27日朝、成田を発って上海経緯で昆明に向かう。機内で手にし た『環球日
報』(4月26日)を読んでいると、 「国際論壇」欄の「中国の大衆は興味を失っ
ているのに、なぜ反対に西側では増しているのか」と題した単仁平(同紙評論
員)の 論説が眼についた。

  彼は日本でも関心の高い薄熙来事件への反応について論じ、「薄熙来に関す
る事情について、中国民衆が最も高い関心を示し ていた時期は既に過ぎ去り、
与論は 常態に復した。現在の中国において、大衆が一つの事件に対する興味を
持ち続けることは難しくなった」と書き出し、にもか かわらず、なぜ西側では
薄事件に関 し根掘り葉掘り、あることないことを大仰に報じるのかと疑問を呈
した後、次のように綴る。

  「先ず指摘したいのは、西側での(薄事件に関する)過剰報道は中国政治に
おける薄熙来の地位を過大評価している点にある ということだ。薄が法律に基
づいて 追及・処断されることは確かにショックではあるが、それは中国の正常
な政治生活においは必ずしも突発的出来事というわけ ではなく、同時に中国の
政治体制と 国家戦略に対する衝撃でもない。それゆえに衝撃は短時間のうちに
沈静化する」と述べる。

次 いで、「西側のある種の人々は、薄個人の中共全体の執政作風に対する破壊
力を誇大に評価するが、薄が重大な腐敗行為を 行ったか否かの認定は中央にお
ける最 終的調査の結論を待たなければならない。じつは薄は中国幹部層の全体
を代表するわけではない。ここ数年、確かに指導幹部 のなかから腐敗分子が摘
発されては いるが、中央は腐敗を厳重処分すべしとの態度を鮮明にしている
し、社会全体が監視・監督に積極的に取り組んでいる。それ ゆえ現在の中国に
おいては、社会的 地位の高低にかかわらず、重大な腐敗行為を犯しながら処分
されないなどということはありえない」とする。かくして、「薄 熙来の事件は
極めて唐突に発生し た。それが中国社会に新たなる成熟と活力をもたらす一方
で、正しいようで間違った噂が流布し社会を混乱させないように希 望する」と
結ぶ。

こ こで興味深いのは、「ここ数年、確かに指導幹部のなかから腐敗分子が摘発
されてはいる」と正直に認めている点だ。という ことは、あるいは単仁平は実
は「薄 は中国の凡ての幹部層を代表」していると告発したかったのではなかろ
うか。むしろ、そう糾弾したほうが論旨が明確になっ ていたように思える。胡
錦濤を筆頭 とする「中国の凡ての基層幹部」における夫人や子女、さらには親
族を含む権力をカサに着ての黒金(ダーティー・マネー) ビジネスが枚挙に暇
がないことか ら、容易に指摘できそうだ。

じつは薄事件の第一報が伝えられた際に先ず頭に 浮かんだのが71年に発生した
林彪事件 だった。「毛主席の親密な戦友」と讃えられ、共産党規約で毛沢東後
継と名指しされながらも毛暗殺を企てソ連への逃亡途中にモ ンゴルで墜落死し
たというの が、共産党の公式見解である。「中国の大衆」が林彪夫婦の“天をも
恐れぬ犯罪”を知らされたのは、事件発生から1年以上も過ぎた後のこ と。林彪
夫婦の不可解な最期に薄夫婦の栄光の座からの失墜を重ね合わせるなら、必ずし
も「衝撃は短時間で沈静化する」という ものでもないだろう。

薄夫婦もまた林彪夫婦と同じように政権交代期特 有の権力闘争の渦中で生贄に
された。だからこそ共産党政権が続く限り、事件の真相は藪の中に蔵われたまま
で終わるはず だ。

林彪夫婦から40年後に薄熙来夫婦。さて次なる生贄は・・・クワバラクワバ
ラ。《QED》
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2012年06月08日

【知道中国 742回】どこまでもついて行きます下駄の雪・・・

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 742回】                        一
ニ・四・念五

      ――どこまでもついて行きます下駄 の雪・・・

『妖魔化中国的背後』(李希光・劉康他、中国社 会科学出版社 1996年)

この本は香港返還を1年後に控えた96年に出版されている。70年代末に始まった
開放政 策による経済成長路線が定着し、89年の天安門事件の後遺症 も脱し、社
会は日々に豊かさを実感しつつある。1840年のアヘン戦争で奪わ れ、屈辱と汚
辱に塗れた近代の象徴である香港を奪い返すまでに国力は回復した――こういった
内外環境の変化が一部の知識人を 刺激し、「世界史的にも現状か らも、中国が
本来的に占めるべき地位を占めてどこが悪い」といった高揚感を呼び起こし、
『中国可以説「不」(「ノー」と言え る中国』に代表される世界に向 かっての
自己主張モノの出版ブームが起こったように思える。この本も、そんなブームに
便乗して出版されたように思える。

表紙を開くと、「士可殺、不可辱 ――中国古 訓」との大きな文字だ。「士は殺
す可し、辱しむる可からず」とは穏やかではないが、並々ならぬ“決意”の表白
だ。かくし て巻頭の「中国人覚醒了」と題されたい総論は、烈火のアメリカ批
判を展開する。

「中国人は覚醒した、ことに中国の青年知識層は 覚醒したと私はいいたい。彼
らは80年代初期のアメリカ崇拝 の心情から日々に明らかに脱しつつあり、現
在、彼らは敢えて自らアメリカを批判し、アメリカ入国ビザと(労働許可証であ
る) グリーン・カードを取得できないことすらも恐れない。/中国人は覚醒し
たといっておく」

この本は8人の共同執筆だが、その多くは78年――まさに中国の“夜明け”の年に南
京大学外文系英米文 学専攻クラスに進学し、アメリカ漬けの大学生活を送るこ
とになる。

「ア メリカの伝統的文化価値と政治制度の創始者であるルソー、エマーソン、
ジェファーソンなどの哲学と政治学の著作を朝から 晩まで読み耽り、時に進ん
でアメリ カにおける政治家の情況を学び、彼らの思想を同級生に熱く語って聞
かせた」。文学を専攻した者は「一日一冊。まるで飢え た狼のようにアメリカ
小説を読み、 学期の終わりには百冊を読みあげた」。ある仲間は「毎晩、古ぼ
けたトランジスター・ラジオを抱えて屋外に立ち、VOA放送の英語ニュースに聴
き入った。彼の記憶力は抜群で、聴き終わった後、15分間のニュースをほぼ間
違いなく我らに伝えてくれた。4年間の大学での勉強の結 果、知識に差はあるも
のの、思想感情の上からはアメリカに更にさらに近づいたものだ」

や がて彼らはアメリカへの留学を果たし、この本を執筆した当時はアメリカの
大学で教壇に立ち、あるいは「ワシントン・ポス ト」などの新聞社に勤め、あ
るいは アメリカで研究生活を続けている。そんな彼らが口を揃えて、「歴史的
にみて、アメリカは中国を直接侵略しなかったし、か つて日本が中国を侵略し
た際、アメ リカは物心両面から援助してくれた。目下、在米の中国公費留学生
は4.4万人であり、日本への留 学生の倍に相当する」。にもかかわらずアメリカ
は、李登輝や天安門事件を引き起こした人物などに連なる「中国政府に対する呪
詛の念を片時も忘れず、中国政 府転覆を呼びかけ続ける」ような「知識界の反
華反共分子」に「一定の市場を与えている」。このように「アメリカ人こそが我
ら のアメリカ批判の感情を徒に煽 り立てているのだ。アメリカのメディアにお
ける中国妖魔化(demonizing China) の陰謀こそが、中国知識人の心を呼び覚
ますのだ」と綴る。

アメリカにおける「妖魔化中国」の「背後」に あったアメリカに対する狂おし
いばかりの憧れ。「アメリカは中国を直接侵略しなかった」ということばは、ア
メリカ好きの 別の表現なのだ。この本は中国人知識人のアメリカに対する切々
たるラブレター集だった。《QED》
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【知道中国 741回】中華民族復仇史観というアジテーションの末路

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 741回】                        一
ニ・四・念三

      ――中華民族復仇史観というアジ テーションの末路

『近代中国史話』(湖南師範学院《近代中国史 話》編写組 人民出版社 1977年)

この本出版の前年に起きた大事件といえば毛沢東 の死と四人組逮捕。出版翌
(78)年末、」小平に率いら れた共産党政権は政治から経済へ、革命からカネ
儲けへ――「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」の毛沢東路線をきれいサッパリと清
算し、新たな道への“革命的大 転進”を果たす。現在の身勝手・金満・傲慢大国
への道を拓くことになる改革・開放路線に大きく舵を切ったのだ。ならば、この
本が出版された当時は毛沢東路 線を継承すべきか否か。開放派と毛沢東主義者
との間で、さぞや熾烈な権力闘争が展開されていたに違いない。

 この本は、1840年のアヘン戦争を発端に51年の太平天国軍の挙兵から1870年代
初頭の太平天国の壊滅までを「第一章 侵略は反抗を引 き起こす」、中国市場
を目指してしのぎを削る列強の専横と中国人民の抵抗なるものを「第二章 帝国
主義は永遠に中国を滅亡さ せることは出来ない」、清朝転覆を導いた1911年の
辛亥革命に繋がる革 命家の苦闘の軌跡と中華民国建国前後を「第三章 帝政を
転覆し、共和国を建国する」――という構成である。

「史 話」と銘打たれているだけあって史実を巧妙に組み合わせてあり、近代史
が判り易く面白く綴られている。だが、それだけに 資料の引用は牽強付会で身
勝手気 侭。自らに不都合な部分への言及は巧妙に避け、あるいはすっ飛ばし、
中華民族主義を大きく掲げ、民族主義に訴え、中華民 族の近代を“蹂躙”した封
建地主階 級と帝国主義という内外の敵に対する“復仇”を煽りまくる。まさに歴
史アジテーションといったところだ。

た とえば第一章は、西南や西北の辺境に棲む少数民族を「兄弟」と呼び、彼ら
は「中国近代第一次革命」である太平天国に呼応 し相互に助け合いながら「反
帝反封 建民主革命の戦いの途上において肩を組み、中華民族解放のために、自
らが置かれた条件の中で可能な限りに卓越した貢献を みせた」。雲南に住む多
くの少数民 族の「20年に及ぶ戦いは中国各民 族人民による戦闘的団結を反映
し、共に解放の情誼と願望を希求した」と、ハデに煽る。

だ が中華民族とはいうものの、それは各民族の平等を意味しない。飽くまでも
“漢族の漢族による漢族のための中華民族”であ り、であればこそ少数民族は永
遠に 漢族の下っ端の立場、いいかえるなら下僕に甘んずるしかないというこ
と。漢族の圧政下に呻吟するチベット、ウイグル、内 モンゴルの各民族の悲惨
な現状をみ せつけられれば、少数民族の「解放の情誼と願望」を踏みにじって
いる最大の要因が、漢族が掲げる超自己チュー中華民族主 義にあることは明白
だろう。

ア ジテーション調が最高潮に達するのは、やはり「神州大地(ちゅうごく)の
東方の空が曙に染まり一筋の真紅の光が射し、四 方の空を鮮やかに染めあげ
る。我ら が偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主
義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向 かう分岐点に在って中
国と世界を改 造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るべく壮大な信念を
抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニ主義を創造的に 用いて中国革命の
具体的情況に結び つけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中
国人民を勝利から勝利へと導いた」と謳いあげた最終部である。

「一筋の真紅の光」「中国と世界を改造」などと いった類の毛沢東賛歌の美辞
麗句は、「強盛大国」を目指した北の将サマに似てブザマで滑稽で無内容に過ぎ
る。昨今の中国 の傲慢・倨傲ぶりからは、彼らの説く「歴史の前進的発展」の
虚しさを痛感するのみ。《QED》
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2012年06月06日

【知道中国 740回】21世紀、「中国人は『理想の国』に向かう」そうです・・・

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
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【知道中国 740回】                        一
ニ・四・仲六

      ――21世紀、「中国人は『理想 の国』に向かう」そうです・・・

『大予測 21世紀的中国』(華・姚・黄主編 中国民族大学出版社 1994年)

この本出版の5年前に起こった天安門事件によって、ケ小平が掲げた開放路 線は
頓挫の危機に陥った。“民主派圧殺”を批判し欧米政府が中国への経済制裁に乗り
出したからである。だが、いまから20年前の92年初頭、ケ小平は開放政 策=市
場化に批判的な保守派を切り捨て、南巡講話によって「儲けるヤツは誰でもいい
からトットと儲けろ」「貧乏は社会主義で はない」と開放政策を加速させ た。
かくして中国は天安門事件の後遺症を脱し、現在に繋がる傲慢・金満超大国への
道を驀進しはじめたのだ

この本出版から3年ほどが過ぎた頃から中国では『中国会説「不」(「ノー」 と
言える中国』といった類の書名に「不」を織り込んだ本が続々と出版され、97年
の香港返還へと続き、 一部であれ国民が開放路線の“おいしさ”を感じ、大国に
相応しい立場を求め始めた。そんな時代に出版されたこの本は、21世紀の中国を
次のように 描きだす。

■経済:発達した市場と強大な国家という「2本の巨大な手」を持つ21世紀の中国
は華南、西 南、上海・長江中下流域、渤海、西北、東北の「六大経済区域」か
ら構成され、国有企業は全面的に民営化され株式会社化する。 台湾、香港をも
包括する「中華経済圏」は「EU、北米自由貿易区と競い 成長」し、「中国は必
ずや世界の頂点に立つ」。経済成長の結果、@きめ細かい社会保障制度、A失業保
険制度、B高度な労災保 険と医療保険制度は完備され、「21世紀に到ると同時
に、中 国人は『理想の国』に向かう」。

■ 都市と農村:地球がそうであったように、輸送・通信手段における格段の技術
革新により「中国は小さくなり」、深圳、上海 浦東、西安、武漢などの大都市
は一 層の国際化を果たし、北京と上海は一体化した巨大な都市となる。依然と
して国民経済の根幹をなす農業においては市場農 業、商品農業、大農業からな
る「彩色 農業」が主流となり、農民は非農業部門からの多くの収入をえること
で日常生活を一変させ、全国各地農村には「農民城(農 民都市)」が生まれ都
市と農村の格 差は限りなく縮小し、同時に農業人口は減少する。

■科学技術と環境:天候をコントロールし、大煙 突を持ち環境に大きな負荷を与
えるような工場は都市からは消え、環境保全型の観光産業が発達し、医療と食生
活の改善が人 民の寿命を延ばす。21世紀の中国経済は飛躍的 成長を遂げること
から環境問題は軽視できないが、「しかるべき有効な措置を採ることで、生態環
境悪化を制止する」。

■軍事:たんなる軍事力の増強ではなく、政治・ 軍事・経済の3部門を有機的に
統合化した「大国防」という路線を確立することこそが、「21世紀中国の希望で
あり、 その希望を保証する」。「軍事科学研究と軍需産業と民需工業との一体
化、軍隊建設と経済建設との併進、国家における合理的な 経済体制と産業シス
テムの形 成」を断固として進めることで、「新しい時代への欠くことのできな
い“入場券”」を確実なものにする。

以上の他に人口、教育・文化などについて予測し た後、「未来が歴史に告げて
いる。百年をかけて中国人が目指した富強への夢は、ほどなく実現する」と結論
づける。

景気のいい空想未来譚が次々に語られるが、政治 についての言及は一切なし。
どうやら共産党による一党独裁体制は21世紀も続くことは規定の 路線のよう
だ。ならば今後とも、文革時の林彪やら最近の薄熙来のように昨日までの国家指
導者級幹部が犯罪者と断罪され、ワケ も判らないままに葬り去られる奇々怪々
な椿事は続くわけですね・・・やれやれ。《QED》
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2012年04月13日

【知道中国 738回】毛沢東は「圧迫あれば反抗あり」といいますが・・・

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 738回】 一ニ・四・仲二

 ――毛沢東は「圧迫あれば反抗あり」といいますが・・・

 『緑林赤眉起義』(陳振 中華書局 1974年)

 絶頂期にあった四人組が思うが侭に権勢を振るっていた1974年前後に「歴史知識読物」シリーズが続々と出版された。この本もそのうちの1冊だ。このシリーズのなかで書名に「起義」のついたものに『黄巾起義』(羅秉英/以下、共に中華書局から1974年出版)、『李自成起義』(厳紹●/●=湯の下に玉)、『清代中葉的白蓮教起義』(夏家駿)があるが、この本を含め、凡ての表紙を開けると次の「毛主席語録」が掲げてある。

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【知道中国 737回】鉄は熱いうちに打て、脳筋(のうみそ)は柔らかいうちに鍛えよ

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 737回】 一ニ・四・十

 ――鉄は熱いうちに打て、脳筋(のうみそ)は柔らかいうちに鍛えよ

 『淝水大戦』(施進鐘 上海人民出版社 1976年)

 冒頭の「編者的話」で「この本は物語の形式を借りて、この戦争の前後の経緯について少年児童向けに紹介している」と説明しているが、「この戦争」とは、じつは前回(736回)で扱った淝水の戦だ。「少年児童向け」というだけあって、判りやすい文章に加え勇壮なイラストが多く、まさに手に汗握りながら「弱小な東晋軍が敵方の錯覚と油断を利用し、強大な前秦軍を打ち破った」情況、いいえるなら弱軍でも強軍を負かすことができる秘策が、少年児童の柔らかな脳にシッカリと刷り込まれるよう工夫されている。

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2012年04月08日

【知道中国 736回】「団結は力、団結は勝利」だそうです

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 736回】 一ニ・四・初六

 ――「団結は力、団結は勝利」だそうです

 『論淝水之戦』(李興斌 上海人民出版社 1975年)


 毛沢東が『中国革命戦争的戦略問題』で弱軍が強軍に勝利した典型として論じている4世紀末に発生した「淝水の戦」とは、「中国北部全域を統一し、黄河流域全域に加え長江、漢水の上流に広がる肥沃で実り豊かで広大な地域を押さえ、法家である王猛による補佐と政治によって社会における生産が一定程度に回復した」前秦王朝と、「長江下流域と五嶺以南の辺縁の地に位置し、北方からの移住者によって黄河流域の先進農業生産技術が導入されたとはいえ、土地は狭く人口は希薄だったことから、物質的には前秦に遥かに及ばない」東晋との間の決戦である。

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posted by 親善大使 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 樋泉です。