2012年03月15日

【知道中国 726回】民族にとっての偉人は凡て法家だった・・・な〜んてねッ

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 726回】 一ニ・三・仲五

 ――民族にとっての偉人は凡て法家だった・・・な〜んてねッ

 『《斉民要術》選注』(広西農学院法家著作注釈組 広西人民出版社 1977年)

 この本は6世紀の後魏の人である賈思勰が編んだ『斉民要術』の主要部分に詳細な解説と注釈を加え、あわせて現代語訳を付したもの。毛沢東が亡くなり四人組が逮捕された直後の77年1月に出版されているこの本の巻頭には、それまでの本に見られた「毛主席語録」からの引用もなければ、文中に毛沢東の著作からの傍証も見当たらない。あるいは文革路線からの決別を、さりげなく示そうとしたとも考えられる。

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タグ:美味しい豚
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2012年03月13日

【知道中国 725回】李白は酒を浴びるほど呑んでも反権力の人だった・・・らしい

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 725回】 一ニ・三・仲三

 ――李白は酒を浴びるほど呑んでも反権力の人だった・・・らしい

 『李白詩選』(復旦大学中文系古典文学教研組選注 人民文学出版社 1977年)


 自らを「酒中仙」と呼び、「李白一斗詩百篇」ともいわれた唐代の李白は、一斗の酒を呑むうちに百篇の詩を詠出したそうだ。一斗の酒も凄いが、百篇の詩作にも恐れ入るばかり。若い頃は任侠の道を歩んだらしい。任侠といってもヤクザの世界ではなく、おそらく義侠心に富んだ日々を送ったということだろう。日夜豪飲し、金銭を軽んじ他人に施すことを好んだ。ある時、仙術を修めた道士に従って都の長安へ行き、玄宗皇帝を讃える文章を奉ずるや大いに気に入られ、皇帝から学術面における側近として遇された。

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タグ:李白
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2012年03月11日

【知道中国 724回】香港の仇は・・・どこで返すのか

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 724回】 一ニ・三・仲一

 ――香港の仇は・・・どこで返すのか

 『東と西』(クリス・パッテンハン 共同通信社 1998年)

 自らが語っているように、著者は「英国の最も偉大で、かつ疑いもなく豊かだった植民地の最後の総督」である。80年代後半には教育科学相、環境相などを歴任し90年には保守党幹事長に就任し、一時は首相の座まで期待されていたが92年の総選挙で惜しくも落選。かくして92年4月、香港総督として極東の地に送り込まれた。

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2012年03月08日

【知道中国 723回】毛沢東の得意技は空手チョップ・・・?

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 723回】 一ニ・三・初八

 ――毛沢東の得意技は空手チョップ・・・?

『中国近代簡史』(復旦大学歴史系中国近代史教研組編著 上海人民出版社 1975年)

 「知識青年は農村に行き、貧農・下層中農から再教育を受けることは絶対に必要である」と毛沢東の檄を受けて都市から農村に向かった知識青年、つまり都市の大学生や高校生が農村で「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想の指導のもとに哲学、社会科学、文学、自然科学に関する基本知識と実用的な農業技術知識など」を学習するために編まれた「青年自学叢書」の1冊。文革を引き起こした張本人である毛沢東の死、文革によって権力を掌握するという“余得”をえた四人組が逮捕される1年前の出版である。

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2012年03月04日

【知道中国 721回】徐復観、唐君毅、牟宗三、そして銭穆

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 721回】 一ニ・三・初四

 ――徐復観、唐君毅、牟宗三、そして銭穆             

 香港で発行されている『亜洲週刊』(1月29日〜2月5日号)に「徐復観与胡蘭成唐君毅羅孚的奇縁」という長文が掲載されていた。50年代から80年前後まで、香港・台湾・日本・中国を舞台に展開された共産党と国民党の間の学術・思想界における統一戦線工作の狭間に生きた学者の姿が綴られている。表題に記された徐復観と唐君毅、それに文中に登場する牟宗三、銭穆――4先生の面影が、70年代前半の5年ほどを過ごした香港での日々と共に思い出される。

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2012年03月02日

【知道中国 720回】それにしても、摩訶不思議なことがあったもんだ・・・

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 720回】  一ニ・三・初二

 ――それにしても、摩訶不思議なことがあったもんだ・・・           

 『影像中的「文革」農村』(周浙平編撰 高恒如撮影 三聯書店 2012年)


香港にある浸会大学の当代中国研究所が2009年9月から刊行している当代中国研究叢書の最新の1冊だ。

 冒頭に置かれた「序言 草根的『文革』史」には、「この本に収められた写真は、すべて山西朔県(現在の山西省朔州市朔城区)の農村における生産と生活――春の種まき秋の収穫、収穫物の乾燥、水路作りと井戸掘り、田畑の養生と堤防工事、学習会、民兵訓練、子供たちの学習、医者による治療・・・これ以上に表現しようのないほどに当たり前の生活を捉えている。だが、撮影された時代は尋常ではなかった。

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2012年02月29日

【知道中国 719回】烏坎村、呉英、王立軍・・・「和諧社会」の終焉を前にして

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 719回】 一ニ・二・念九

 ――烏坎村、呉英、王立軍・・・「和諧社会」の終焉を前にして           

 2012年も、もう2ヶ月が過ぎてしまう。この間、派手な外交デビューが伝えられる習近平に較べ胡錦濤の出番が少ないようだが、水面下で引退後を画策しているのか。まあ立ち去る権力者について四の五の口を挟んでも致し方がないが、やはり胡政権の10年間を振り返ってみる必要があるだろう。とどのつまり胡政権が掲げた「和諧(融和・調和)社会」は実現できたのか。実現の緒に就いたのか。それとも単なる掛け声に終わったのか、と。

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タグ:和諧社会
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2012年02月27日

【知道中国 718回】ボクたちだって革命戦士だったんダイ・・ッてか

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 718回】 一ニ・二・念七

 ――ボクたちだって革命戦士だったんダイ・・ッてか          

 『両個小旅客』(上海港工人業余写作組写 上海人民出版社 1973年)

 文革期に出版された革命教育のための典型的な絵本である。

 その日早朝、金ばあさんは9歳の金鈴チャンと7歳の金銘クンの2人の孫の手を引いて上海の客船埠頭事務所を訪ね、「孫2人だけで建設事業支援に出向いている両親を訪ねることになりました。どうか宜しくお手配願います」と頭を下げた。応対した担当職員の魏剛が「今晩、折りよく重慶行きの便がありますけど、どうしますか」

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タグ:紅小兵
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2012年02月26日

【知道中国 717回】彼の呟きに静かに耳を傾けようではないか

<樋泉克夫愛知大学教授コラム>
chido_chugoku_image.jpg 【知道中国 717回】  一ニ・二・念五

 ――彼の呟きに静かに耳を傾けようではないか          

 『周作人伝 ある知日派文人の精神史』(劉岸偉 ミネルヴァ書房 2011年) 

 巻末に付された「周作人略年譜」によれば、生まれは福沢諭吉が「脱亜論」を世に問うた1885年で、日清戦争に先立つ9年前に当る。4歳年長の兄が中国近現代の文学・思想の世界に大きな足跡を印した周樹人こと魯迅。3歳下の弟が中華人民共和国全国人民代表大会副委員長を務めることになる植物学者の周建人。兄を頼って東京に学び、日本女性と結ばれ、日本語を練磨し、江戸情緒を愛で、日本の文人墨客と終生の交友を結び、帰国しては兄と絶交し、日本軍治下の北京で教育行政に当り、日本敗戦後は国民党政権下で漢奸として獄舎に繋がれ、共産党政権成立後は「売文生活」を続け、文革が起こった1966年8月には自宅に乱入した紅衛兵から暴行を受け自宅を追い出され、67年5月に「北京八道湾自宅の台所の小屋で没。最期を看取る者がいなかった。享年八十二歳」。号は知堂、苦雨翁など。

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